【マギアレコード】ドッペルの真実 ドッペルの先は悪魔法少女

 魔法少女まどか☆マギカ外伝 マギアレコードにはドッペルという現象があります。

 マギアレコードの舞台である神浜にいれば、ソウルジェムに穢れがたまっても魔女化せず、穢れがすべてドッペルに使用されます。これによってソウルジェムは浄化され、魔法少女が力尽きることはありません。

 一見すると魔女化しない素晴らしい現象ではあります。しかし、原因不明の副作用が存在するため、物語中では過度な使用を控えるようになっています。

 果たしてドッペルは信頼してもよいのでしょうか?

 今回は魔法少女の宿命を振り返り、ドッペルの真実とその先に待つ可能性について考察を行っていきます。

 

1. 魔法少女と魔女 希望と絶望

1.1  魔法少女

 魔法少女は希望を願い、世界へ希望をもたらす存在です。
 そんな魔法少女なら必ず持っているソウルジェムは
キュゥべえと契約した際に魔法少女の魂を物理的に具現されたものです。
 このおかげで痛覚を遮断することができ、怪我を魔力を使って回復できたり、視力の矯正などを行うことができるようになります。
 しかし、ソウルジェムと体はリンクされている状態で運用しているものであり、ソウルジェムと体が離れすぎるとソウルジェムは体を動かすことができなくなります。
 また、ソウルジェムが砕かれることは魔法少女の死を意味します。

 キュゥべえと契約する際に少女は必ず何かを願います。その願った内容と少女の因果律を考慮して魔法少女の性質が決定します。
 魔法少女の性質は十人十色ではありますが、それゆえに得意不得意が必ず存在します。不得意な部分は経験で補うか、チームを組んで協力し合うしか方法はありません。

 魔法少女は特定の場合を除いてほぼ「魔法少女の真実」を知る機会はありません。
 魔法少女の真実は、ソウルジェムに穢れが満ちると魔女になるということ、ソウルジェム自体が自分のすべてだということです。
 大抵の魔法少女はこの真実を受け入れることができず、命を絶つか自暴自棄の果てに魔女化します。

 

1.2  魔女

 魔女は世に呪いを振りまく存在であり、魔法少女の倒すべき敵です。
 また、魔女は魔法少女に呪いが溜まった末路でもあります。魔法少女が魔女になる時、ソウルジェムはグリーフシードへと変わります。この時に希望と絶望の相転移エネルギーが放出され、魔力の性質は呪いへと変化します。
 魔法少女から見たら狂気の塊である魔女ですが、厳密にいうと魔女に感情はありません。本能レベルに刻まれた己の性質をただ満たそうとし、邪魔するものは排除するという獣同等のことしか行っていません。
 キュゥべえにとって魔女はエネルギーを抜き取った後の抜け殻程度にしか思っておらず、それでも魔法少女に溜まった穢れを吸い取るグリーフシードがあるため、利用価値だけはあるとは考えています。

 さて、魔女に魔力の概念があるのかというと、それは確かに存在します。
 魔法少女にはそれぞれ性質が存在し、性質は魔力パターンとして検知できます。魔法少女同士はそのパターンを覚えることでお互いの居場所を確認しあうことも可能です。
 魔女を探す場合もその魔女の魔力パターンを覚えて居場所を突き止めます。これは魔女に魔力という概念が存在しなければ検知すらできません。
 ゆえに、魔女にもしっかりと魔力の概念があります。

 しかしその性質は魔法少女とは真逆で、呪いを魔力の源としています。そのため、使い魔も呪いを溜め込んで魔女へと成長することができます。グリーフシードが呪いを吸収するのは、魔女にとって呪いが魔力の源だからです。

 

2. 自動浄化システムの真実

2.1 ソウルジェムの仕組み

 ソウルジェムは魔力が溜め込まれる宝石でもあり、ここに穢れが溜まっていきます。魔力の消費、絶望を感じるごとに穢れがたまっていき、ソウルジェムに穢れの量が限界に達するとソウルジェムはグリーフシードへと変化します。肉体とリンクしているだけでも魔力を消費するため、魔女化を回避するためには魔女の存在が欠かせないのがほぼすべての時間軸に当てはまる話です。

 希望でできた魔法少女の魂に呪いが満ちた時、魔力の性質が希望から呪いへと変わります。この変換作業の際に相転移エネルギーが放出されるのです。このエネルギーをキュゥべえは欲していて、相転移エネルギーはキュゥべえが回収し、宇宙が消費しているエネルギーへと変換されていきます。

 相転移エネルギーを放出したことでソウルジェムから感情という概念は消失してしまいます。残念ながら魔法少女まどか☆マギカの本編でも、マギアレコードでも魔女の感情について深く言及している場面は存在しません。
 唯一魔女には感情がないと考えられる要因は、呪いの力を自給自足できないという点です。感情を持っていた場合、否が応でも負の感情は抱くものです。もし魔女に感情があるのであれば、呪いの象徴である魔女自身で呪いを生み出し、力とできるため負の感情を求める必要はありません。
 しかし魔女は人を襲っては恐怖や絶望といった負の感情を集めて力としているように見受けられます。使い魔が人を襲うほど強くなるのも負の感情を力としているからです。
 イブがなかなか魔女にならなかったのも、イブ自身には感情の概念が存在しなかったからです。おそらくあのままワルプルギスの夜を倒して自らの力としても希望から絶望への相転移は起こらなかったでしょう。

 では感情を失った魔女は、元魔法少女とは別物なのでしょうか?
 厳密にいうと魔法少女の頃の力を受け継いでいて、魔法少女の性質=魔女の性質という関係が成り立っています。魔法少女と魔女の違いは、希望を魔力としているか、呪いを魔力にしているかの違いと感情があるかないかの違いだけです。

 このように、ソウルジェムが生み出す相転移エネルギーというものは感情があってこそ成り立つものです。

 

2.2 自動浄化システム

 神浜にある自動浄化システムはういの「回収の力」を利用して小さなキュゥべえが依り代となった結果生まれた奇跡の産物です。

 自動浄化システムはソウルジェムに溜まった穢れを回収することで魔法少女の魔女化を防ぐという素晴らしいシステムです。
 しかし、もしこのように機能しているのであれば、そもそも魔法少女に穢れが溜まること自体が起きないはずなのです。ういが魔法少女になりたての頃の現象を見ればわかりますが、際限なく穢れを集め続けます。
 常に穢れを回収しているのであれば、ドッペルを発動するなどということが起きるはずがないのです。
 このことから、自動浄化システムが発動する条件は「ソウルジェムに穢れが満ちたとき」です。

 ここで疑問に思うことが出てきます。
 ソウルジェムに穢れが満ちたとき、魔法少女の魔力が希望から絶望へと変わるために相転移エネルギーが発生します。
 相転移が発生してしまうということは希望から呪いへ変わるという魔力の反転化が発生するはずです。これが発生しないということは、自動浄化システムには魔力の反転化が起きないようにする仕組みがあるということです。

 それこそが、ドッペルです。

 

2.3 ドッペルの仕組み

 自動浄化システムが相転移エネルギーを回収する際に魔法少女から現れるのがドッペルです。

 ドッペルが発動する際、ドッペルを発動した魔法少女と繋がっているとは限りません。中には魔法少女自身がドッペルに掴まっているだけという場合があります。これは魔法少女の感情の起伏に依存します。

 感情の起伏が乏しいほど相転移エネルギーの量も少ないため、ドッペルが完全に体から離れない状態となってしまいます。逆にドッペルが魔法少女の体から離れている場合、相転移エネルギーが多いと考えられます。

 そしてドッペルは魔法少女の感情の写しであり、魔女と鏡合わせの存在に当ります。

 このように説明されることが多いのですが、実はドッペルは魔女の写しです。
 原作組の魔法少女が出すドッペルに注目すると、まどマギに出てきた魔女とドッペルの名は同じです。
 そして「○○のドッペル」と表現される際の○○は魔女の場合は性質であり、姿は「○○の魔女」と表現される際の○○に入る表現に一致します。
 このように原作組の魔法少女に注目するとドッペルは「魔女の写し」というとらえ方もできるのです。


 ドッペルは魔法少女が行きつくはずの姿である魔女の写しであることから、魔女化を抑制している存在だということがわかります。

 さて、ドッペルという言葉の意味を知っているでしょうか?
 世間一般でドッペルと言えば「ドッペルゲンガー」つまり、「もう一人の自分」です。

 ドッペルの解放クエストのように各魔法少女は映し出されたもう一人の自分と対面し、感情を捨てるかどうかの選択を迫られます。
 感情を捨てないことを選択した場合、もう一人の自分が代わりに魔女化してくれるおかげで自動浄化システムの範囲内では魔法少女が相転移エネルギーを放出する際に感情を失うことはないのです。これがドッペルの仕組みです。
 もし感情を捨ててしまった場合、本物である自分がドッペルとして消費されてしまい、ドッペルとなるはずだったもう一人が「本物」としてなり替わってしまうのです

 ドッペルは魔法少女の感情の中にもう一人の自分を映し出し、映し出されたもう一人がドッペルとして消費されることで感情の消失を抑えているのです。

 また、ドッペルが出現後短い間しか存在できないのは、相転移エネルギーの一部を使用しているおかげで姿を維持しているからです。

 

2.4 自動浄化システムの真実

 自動浄化システムは決して魔法少女に溜まる穢れを回収するシステムではありません。自動浄化システムは「魔法少女を魔女化させないシステム」として存在しているのです。

 自動浄化システムはソウルジェムで相転移エネルギーを発生させ、魔法少女の感情を映し出して映し出した存在に魔女化を肩代わりしてもらうことで魔法少女の魔女化を防いでいるのです。

 多くの魔法少女はドッペル発動後にソウルジェムが浄化されていることからそう考えてしまいますが、魔女化の過程は直前まで踏んでしまっているのです。

 このことから、ドッペルの発動回数は本来の魔女化する回数に等しいといえます。相転移エネルギーが回収されるたびにソウルジェム内部では魔力の反転化が行われようとするため、魔力の状態が不安定となってしまいます。

 ドッペル発動後に疲労感を感じるのは、魔力が不安定なっていたからなのです。
 体を動かす際に魔力が消費されると考えると、魔力が不安定な場合は体とのリンクもうまく行えない状態だということです。ねむのように体の一部が不自由になるというのは、体とのリンクが不安定になっている証拠でもあるのです。

 ドッペルを出しすぎた結果、ソウルジェムは無事でも体とリンクすることは叶わなくなる可能性があります。

 最も深刻化するのは魔力の不安定化です。
 魔力が不安定となる理由は、魔力の反転化が無理やり防がれていることが原因です。この反転化は反転する直前にドッペルが肩代わりしているため、完全な反転化は防がれています。
 しかしストッパーというのは負担がかかればかかるほど手を加えなければいずれ脆くなり、機能を果たさなくなります。さらに言うと、感情を持つ魔法少女は絶望を抱いたとしても魔女となることができずに絶望を抱いたまま魔法少女を続ける場合があります。

 ドッペルを使いすぎた場合、魔力の不安定さが増し、最終的には魔力の反転化を許してしまう可能性もあり得ます。

 では、ドッペルによる副作用をまとめてみます。

ドッペルの副作用

・魔力の不安定化

・体とのリンク不調

・最終的には魔力の反転化が発生する可能性がある

 

3. ドッペルよりも深い魔女の先

「人間は成長途上の女性のことを、少女と呼ぶんだろう?
なら、いずれ魔女となる彼女たちは、魔法少女と呼ぶべきだよね」

とあるキュゥべえはこう語りました。

 魔法少女という存在は願いを叶え、希望を与える存在でありながら負の感情を知った先で絶望を知り、感情をなくして本能のままに絶望をまき散らす魔女になるという悲しい宿命があります。

 自動浄化システムはこの宿命から逃れるために存在するようなシステムです。

 しかしその先にあるものは、絶望を感じながら魔法少女であり続けるという末路です。少なくとも人間社会では生きていけない存在となってしまった彼女たちは、魔法少女であり続けた先に、希望を与え続けることが可能なのでしょうか?

 最終的には感情に押しつぶされてしまい、魔力の反転化が許されてしまうかもしれません。魔力の源が呪いとなった魔法少女は、果たして魔法少女と言えるでしょうか?

 魔女ではなく、魔法少女でもない存在が現れることになります。

 魔法少女でありながら呪いを振りまく存在は、悪魔法少女と呼ぶことにします。

まとめ

・自動浄化システムは「魔法少女を魔女化させないシステム」

・ドッペルは魔法少女の感情を映し出して映し出した存在に魔女化を肩代わりしてもらって発動するもの

・ドッペルを多用すると魔力の不安定が不安定となり、魔力の反転化が起こる可能性がある

・魔法少女でありながら呪いを振りまく悪魔法少女となってしまう危険性がある

 

 

あなたは人へ希望を与え続けられますか—

【マギアレコード】ドッペル調査録

マギアレコードの注目すべき点として、ドッペルというものがあります。

~ドッペル~

神浜市でソウルジェムに穢れが満ちたとき、体の一部に魔法少女の感情の写し”ドッペル”が現れる。ドッペル発動後はドッペルにすべての穢れが使用され、魔法少女が力尽きることは無い。

ドッペルというものは絶望して力尽きてしまうという魔法少女の理を覆す素晴らしい仕組みです。しかし、ドッペルはイブによって引き起こされている現象でした。ドッペル発動によって引き起こされるのは現在疲労感しか確認されていません。しかし、それ以外にも危険な要素があるはずです。

今回はドッペルが安全かどうかを判断するためにドッペルを調査し、まとめ、最終的な判断を下していこうと思います。

まずは情報集めから行っていきます。

では、調査していきます。


ドッペルの本格的考察はこっちだよ
   ↓
ドッペルの真実

 

・ドッペル発動可能キャラ調査結果一覧・

今までに実装された魔法少女の数:133

今までにドッペルが実装された魔法少女の数:89

ドッペルを発動することがない魔法少女の数:9
※アルティメットまどか、万年桜のウワサ、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやて、環いろは&やちよ、梨花&れん(クリスマス)、タルト(ver.Final)、レナ・かえで(水着ver)

ドッペル未実装の魔法少女の数:35

 


環いろはのドッペル

環いろは

ドッペル名:GIOVANNA

沈黙のドッペル その姿は、呼子鳥

説明
この感情の主は、自身のドッペルの情けなさに気が付きつつも、その姿を直視できないでいる。
このドッペルは何も語らず、聞きたくない全てを布で絞め壊し、その胸に空いた穴を埋めるものを探し続けている。
誰かを呼び求めなくてはいけなかったはずなのに、臆病なこのドッペルは布で覆い隠した現実を直視することを恐れ、沈黙し耳を塞いだままでいる。

ドッペルに変化した部分
髪の毛

ドッペル発動時のセリフ
「これが私の本当の気持ち」

沈黙は黙り込むこと、口を利かないことを意味します。声をかけようと、何をされようと口を開かずただ静寂を守るのがこのドッペルの性質です。
魔法少女になる直前のいろははクラスメイトによくついて回っていたものの何か自分から発言することもなく、苦手なものを勧められたり、話を振られても人間関係が悪くなることを恐れ、自分を押し殺してきました。
そんな自分を見せたくないと、ういの前ではいつも事実を話せずにいました。
そんな事実を隠す行為が、ドッペルに反映されたのでしょう。

呼子鳥は鳴き声が人を呼ぶように聞こえる鳥のことです。その正体はカッコウ、ウグイス、ホトトギスなど様々な説があります。
なぜ姿が呼子鳥なのかというと、死の淵からういを呼び戻したこと、神浜に来てからういの名前を呼び続けたことから来ていると考えられます。
初めてのドッペル発動時はういの行方が知らない状態でした。
ういを見つけ出すことができず、果ててしまう自分の姿がドッペルに映し出されたのでしょう。

このドッペルの名前であるGIOVANNAはイタリア語圏で女性名として使用されています。また、ジョバンナはジョバンニの女性名にあたり、元のジョバンニは銀河鉄道の夜に登場する主人公の名前でもあります。
銀河鉄道の夜はジョバンニとその親友のカムパネルラが旅をする物語であり、マギアレコード第一部の内容と類似します。
やちよと親しい関係であること、マギアレコード第一部が銀河鉄道の夜の影響を受けていることからジョバンニの女性名「ジョバンナ」がドッペルの名前として与えられたのでしょう。
唯一の共通点としてジョバンニも契約直前のいろはも周りから疎外され、幽霊のような立場にいたということです。

ちなみに星5として覚醒したいろはがフードをかぶっていないのは、現実を直視する勇気、心の強さを得たことを表しています。しかしドッペルは変わりません。



七海やちよのドッペル

七海やちよ

ドッペル名:CAMPANELLA

モギリのドッペル その姿は、切符鋏

説明
この感情の主はやがては自分も今まで見送った友を追って旅に出る日のことを夢想する。
尾の先にぶら下げられたランタンに灯した火で様々な幻影を呼び出す他、尾のハサミで傷をつけられた者は遠くない未来に必ず大きな災いが訪れるという。
長く魔法少女として生きてきた者、年齢の高い者のドッペルは正負の感情幅が少なくなってしまうことにより、このドッペルのように本体から分離しきれず一体化した姿となる場合がある。

ドッペルに変化した部分
両手、左足

ドッペル発動時のセリフ
「おいで」

モギリは、入場券の半券を切り取ることを指します。また、切符鋏は現代ではあまりなじみはありませんが、列車の搭乗券の確認済みという印をつけるハサミのことを指します。
やちよのドッペルを開放するときにかかわったストーリーを見るとわかりますが、やちよの願った「生き残りたい」という願いのために仲間の命を生き残るための切符として使用しています。おそらくこの事が彼女の絶望につながったため、ドッペルの姿では切符鋏が強調されているのでしょう。

ドッペルとして変化したのは両手と左足というほとんど一体化したような状態です。ドッペルの説明文にもある通り、やちよは魔法少女歴が長いことからほとんどドッペルが体から離れていない状態となっています。

なぜ蠍の姿なのか、というと「銀河鉄道の夜」という作品の中にある”やけてしんださそりの火”からきています。
このエピソードに登場する蠍は、いくつもの命を奪って生きてきたことを井戸で溺れながら後悔します。このことがやちよの絶望、後悔によく似ています。そのことから、蠍に似た見た目となっているのです。また、ドッペルの攻撃方法は、ランタンの灯で相手に溺れる幻影を見せています。攻撃方法も、蠍の火のエピソードからきているのです。

このドッペルの名前になっているカムパネルラはいろはのドッペルの名前となっているジョバンニと親友の関係です。ドッペル自体はやけてしんだサソリになぞらえていますが、名前はいろはと親しい関係であることを表すため、ジョバンニの親友の名前が当てられたのでしょう。



由比鶴乃のドッペル

由比鶴乃

ドッペル名:YUHONG

団欒のドッペル その姿は、金華

説明
この感情の主はこのドッペルの容姿に関してかなり不満を抱いている。
また、主の奉仕によって偉業を成し遂げたいという思いとは異なり、無限の富を生み出すことで身内の欲望を際限なく叶え仮初の団欒だけを守ろうとするこのドッペルの性格に対しても不信感を持つ。
主はこのドッペルが自身の崇高な目的の真逆にあると考え、その俗悪な姿を誰にも知られたくないと思っているが、仮初であろうとも団欒の崩壊を防ぐためにはいつかこのドッペルの力に頼らざるを得ない日が来るだろう。

ドッペルに変化した部分
体とつながっている部分はなく、ドッペルにつるされているような姿

ドッペル発動時のセリフ
「暴れて」

 


 団欒は、親しい人たちが楽しく過ごすことを意味します。つまり、由比家が楽しく暮らし続ける事をこのドッペルは叶えてくれるというのです。金華には贅を尽くした飾りという意味もあります。由比家の偉業だけは自分の力で成し遂げたいと考えた末に破綻寸前の家を元に戻す、団欒を維持するという思いから鶴乃は魔法少女になりました。このドッペルにはこの願いが反映されているのです。

このドッペルの名前がなぜYU HONGなのかというと、シルクロードで発見された石棺からきていると考えられます。ここでいう石棺は、サルコファガスという上流階級用の棺のことです。サルコファガスには豪華な装飾が施され、棺に納める死体本人のことだけではなく、願いや夢、恐怖が描かれたそうです。YU HONGが納められていたサルコファガスは中国の文化の影響を受けていたらしく、中華の店を営んでいる由比家とも一致します。
つまり、このドッペルはサルコファガスであり、鶴乃の願いが描かれているのです。
ドッペルに豚があるのは金華という言葉が金華ハムとして利用されていることから、豚が贅を尽くした飾りという位置づけなのでしょう。

このドッペルの性質や姿はウワサの鶴乃となったときにもほとんど変わらず、ウワサによる浸食は魔力の根底へは至らないことがうかがえます。



二葉さなのドッペル

二葉さな

ドッペル名:THERESIA

無色透明のドッペル その姿は、審問椅子

説明
この感情の主は具現化されたこの姿に苦痛と共に満たされた思いをもつ。
このドッペルは椅子が本体ではなく、透明な姿をもつドッペル本体が椅子の上に座り責め苦を受け続けている。
この透明なドッペルは自身から流れ落ちる血液を使い相手を攻撃する。
通常時の左耳から現れる透明なドッペルとは別に、右耳から可視のドッペルが現れた場合、そのドッペルは敵味方の区別なく絶叫と共に振子ギロチンを振り回し大暴れする。

ドッペルとつながる部分


ドッペル発動時のセリフ
「出てきて」

無色透明とは光を透過し、物体そのものに色がないことを意味します。これはさなの願いがそのまま反映された結果です。ドッペル自体は右耳が現れない限り、本体を認識することはできません。

審問椅子は別名拷問椅子ともいいます。審問椅子はドイツで使用されていた拷問道具であり、拷問相手を裸にし、椅子へ座らせます。針が体へ食い込むため、時間が経てば経つほど体への苦痛が増えるという仕組みです。
このドッペルは審問椅子へ深く腰掛け、針が完全に本体へ深く刺さっています。
審問椅子へ腰かける様子は、苦痛を受けたがっているかのようです。さなは自傷行為をどこかで求めていてそんな欲求がドッペルに反映されたのでしょう。
ちなみに自傷行為は心が歪んだ場合によくとる行為とされています。

THERESIAはドイツ語圏で女性名として使用されます。
また、テレジアという名前を持つ有名な人物でマリア・テレジアがいます。マリア・テレジアはヨーロッパ諸国へテレジア法という拷問マニュアルを配布しました。そんな拷問に関係のある「テレジア」という名前がこのドッペルに与えられたのです。
テレジア法は、このドッペルが持つ拷問器具ほど過激な内容ではありません。



深月フェリシアのドッペル

深月フェリシア

ドッペル名:BEATRICE

攪拌のドッペル その姿は、瞼

説明
この感情の主はこのドッペルが現れている間、深い眠りに落ち、このドッペルが知り得ることを主が目にすることはない。
このドッペルは主が寝ているうち、虚ろな瞳から流れ出る泥涙ですべての不都合を覆い隠し塗り替えてしまう。
現実を踏み砕くちからを必要としたとき、この写しは目を覚ますだろう。


ドッペルとつながる部分
内臓(へその上あたり)


ドッペル発動時のセリフ
「ク、クゥゥゥ・・・(苦しそうな声)」


攪拌にはかき回すという意味があります。フェリシアの願いは、自分のせいで両親を失った事実をなかったことにしてほしいというものでした。しかし、その願いは事実とは異なった記憶に塗り替えることで叶ってしまいました。現実に偽りの記憶が混ざってしまったという意味から、攪拌という言葉が充てられたと考えられます。

瞼はフェリシアにしろドッペルにしろ、瞼はほぼ閉じた状態です。現実を受け入れない、受け入れられないという意思が現れています。事実、ドッペルとの対話の際にも現実にはまだ触れないと語っていました。今後も、フェリシアの瞼は重いままです。

BEATRICEはイタリア語圏の女性名です。
イタリアの詩人ダンテが作った作品「神曲」に登場する実在した人物をモデルとした人物の名前もベアトリーチェであり、ダンテの心の支えになった人物です。24歳でこの世を去ったベアトリーチェに捧げた作品が神曲とされていて、愛の象徴として描かれています。
このドッペルの名前がベアトリーチェである理由は、このドッペルがフェリシアにとっての心の支えになっているからです。事実を覆い隠し、塗り替えてくれたのは願いから生まれたこのドッペルであり、もし事実を知ったフェリシアは一瞬で絶望してしまうでしょう。
魔女を倒すという決意と、魔法少女を続ける理由はすべて事実を覆い隠された結果から生まれたものです。まさに、ダンテにとってベアトリーチェが心の支えであったように、フェリシアもまた、ベアトリーチェを心の支えとしているのです。



水波レナのドッペル

水波レナ

ドッペル名:CENDRILLON

変身のドッペル その姿は、ガラス靴

説明
この感情の主はその力を自身のため余すことなく行使する。
このドッペルは主が持つ変身能力を何倍にも跳ね上げ、一定時間完全に自分を自分以外の誰か、本人よりも本人らしい理想の他者へと変質させることが出来る。
しかしあまりに完璧なこの変身を多用すれば、やがて本来の自己の姿を見失ってしまうだろう。
尚、このドッペルは主を主の理想とする他者へと変身させるため、それが元来の他者と多少違って見えてしまうことも間々ある。

 


ドッペルとつながる部分
水波レナの影


ドッペル発動時のセリフ
「水波レナはこれで勝つ!」

変身はレナの願った結果得た変身能力から来ています。願いが反映されたドッペルと素直にわかりやすくなっています。

CENDRILLONはサンドリオンと読み、灰かぶり姫を意味します。つまり、シンデレラです。
シンデレラの話は登場人物や時代背景が変えられてさまざまなバリエーションが存在します。しかし、話の構成はどれも違いがありません。
主人公である女性はよくいじめられる人物でした。その後、過程はどうであれ、王子様の探す靴の持ち主がこの主人公であり、最終的には王子様と結婚することになります。
このドッペルの姿にあるガラスの靴もシンデレラのバリエーションのうちの一つです。
シンデレラは普段の汚い姿から、魔法使いの力によって理想のきれいな姿へと変身します。これをきっかけに幸せになるという部分から、このドッペルは理想の姿へと変身したいと願ったレナの想いが反映されているのです。

ちなみに、ドッペルに足が片方しかないのは、幸せになるきっかけが片方の靴にぴったりな足だからです。



十咎ももこのドッペル

十咎ももこ

ドッペル名:ELFRIEDE

自戒のドッペル その姿は、ネイル

説明
この感情の主は、その力が行きつく果てに、そこまで興味はない様子。
このドッペルは、自らの巨大な指や周囲に飛び回る無数の指を操って攻撃する。
その武器となる爪の全てには丁寧なネイルが施してあり、ドッペルはネイルの具合を過剰なぐらい気にしている。褒めてあげると張り切るが、貶めると異常に落ち込んでしまい、自分を戒めて落ち込んでしまう。
そうなると面倒なので、呼び出したら早く攻撃して貰った方が良い。


ドッペルとつながる部分
左手


ドッペル発動時のセリフ
「空回ってなんかいないっての!」

 

自戒とは自分自身を戒めることを意味し、どんな行為にも慎重になってしまって己のパフォーマンスを十分に発揮できない状態となってしまいます。ももこの場合は男勝りであることを気にして何かと慎重になってタイミングを逃してしまう機会が多い過去があります。そんな自分の行いに何かと慎重になりがちだった過去の自分がドッペルに反映されているのです。
願いのおかげで思い切って行動できる機会は増えましたが、バッドタイミングな体質のせいで何かとタイミングは逃しています。
ネイルは爪を飾り付けるメイクの一種で、古代から爪を飾り付けるという風習があったようです。ネイルが強調されているのは、ももこの女性らしく立ち回りたいという考えが反映された結果です。綺麗と言われればやる気が出ますし、らしくないといわれたら落ち込んでしまうのでしょう。

ELFRIEDEはドイツ語圏での女性名と使用され、妖精、不思議な力を意味します。
ドッペルが不思議な力であることには間違いありません。



秋野かえでのドッペル

秋野かえで

ドッペル名:ZOLA

陣取りのドッペル その姿は、敷地

説明
この感情の主はドッペルに自らの生活圏が侵食されることを恐れ、呼び出す場所はよくよく選ぶようにしている。
このドッペルは、主の意思とは関係なく出現した途端、その周囲を腐り苔で覆いつくし自らの陣地とするうえに、その陣地を拡張することのみを目的としているからだ。
誤った場所で呼び出せば大事な場所でさえも腐り苔で覆い尽くされ元の姿を保ってはいられないだろう。
このドッペルはその陣地内において絶大な力を行使することができる。

 


ドッペルとつながる部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)


ドッペル発動時のセリフ
「どんくさくっても頑張るの」

陣取りには敷地を自分の目的のために占拠、使用するという意味があります。観葉植物や動物たちのために不都合を生じさせるマンションの敷地を願いによって「日光を取り入れるための場所」として使用するようになってしまいました。まさに、陣取りというかえでの願いの結果があらわされています。

ZOLAは自然主義文学の先駆者 エミール・ゾラから来ています。かえではよく美化した言葉を使わずにありのままの意味の言葉を相手に放ちます。ゾラもまた、社会や人間の矛盾を鋭く突く作品を作っていて、いい意味で「素直に」物事を見る部分が共通します。
このドッペルはまさにかえでの性格の写しであり、主にとって都合の良い生き方を勧めてきました。自然のまま、わがままに、つまり、自由に生きることをドッペルは勧めてきているのです。かえでの願いがわがままから生まれた願いであったように。
ゆえに、このドッペルの名前がゾラである理由は、かえでの性格が素直に写された存在であることを表しています。



梓みふゆのドッペル

梓みふゆ

ドッペル名:HEVELIUS

生業のドッペル その姿は、鳥捕り

説明

この感情の主は現実を生きるため、この一体型ドッペルも含めたあらゆる力を利用する。
地面に落ちた自らの影から「白糖雁(はくとうがん)」と呼ばれる無数の鳥型手下を呼び出し相手を攻撃する。白糖雁はぶつかるだけで対象に甘味を認識させ、一度その味を知ってしまった者は中毒症状を引き起こす。その特性から少量を相手にぶつければ多少の嘘偽りなら許してもらえる。舌と両手がドッペルに変化するため、ドッペルを出している間は喋ることができない。


ドッペルとつながる部分
舌と両手


ドッペル発動時のセリフ
「見ない、わたしは何も」


生業(なりわい)には生活していくための職業、世渡りの手段という意味があり、みふゆが普通の女の子として生きていくための手段がドッペルに現れています。
鳥捕りは『銀河鉄道の夜』に登場する人物です。

HEVELIUSは『銀河鉄道の夜』に登場する鳥捕りの擬人化前の姿、こぎつね座を設定した天文学者 ヨハネス・ヘヴェリウスから来ています。ヘヴェリウスがこぎつね座の生みの親といっても過言ではないため、彼の名前が当てられたのでしょう。
こぎつね座=鳥捕りという表現ができることからもわかる通り、みふゆの立ち位置は物語の主人公であるいろは、仲間のやちよと同等に重要な人物であることがわかります。
物語上の鳥捕りはジョバンニと同じように理想を求めてはいたものの、それをやめてしまいました。鳥を捕ることを生業とした鳥捕りは捕った鳥を販売していますが、それはお菓子でした。ここから、ドッペルの使い魔である白糖雁が生まれたのです。ちなみに雁なのは、こぎつね座がガチョウを加えている姿をしているからです。ガチョウは、家畜化した雁です。

鳥捕りがジョバンニと対面した際には、どこまでも行くといったジョバンニに好感を持ち、どこまでも行ける切符を所持していたことにうらやましく思っていました。そして、鳥捕りはいつの間にかどこかへと消えてしまったのです。

みふゆは魔法少女の真実を受け入れられず、目を背けてしまいました。魔法少女の真実と正面から向き合い続けるいろはに対して、みふゆはどこかうらやましいと思うところが心の中にあったのかもしれません。この立ち位置も、銀河鉄道の夜の構成をリスペクトしたものなのかもしれません。



里見灯花のドッペル

里見灯花

ドッペル名:PENNEN・NOLDE

白昼夢のドッペル その姿は、マッチ売り

説明

この感情の主は魔法少女になった後もさらなる願いを成就するために力を欲する。このドッペルは主の寿命を切り分けたマッチを持ち、ひとたび擦って灯りをともせばあらゆる”もしも”が叶うという。マッチの残り本数が主の寿命であり、使い切ることは命の終わりを意味する。強力なドッペルだが、遺言のドッペル同様に自身の寿命を犠牲とするため乱用は禁物。


ドッペルとつながる部分


ドッペル発動時のセリフ
「これが解放のエネルギー」


白昼夢とは現実から離れて願望を空想する状態を指す言葉です。
マッチ売りはマッチ売りの少女を直接的に表しています。マッチ売りの少女のストーリーでは売り物のマッチを擦って火を灯すことで幸せな空想を見るという展開があります。そして、最後のマッチの火が消えた頃には少女は死んでしまっていたという結末です。
このドッペルはいずれは死を迎える病院生活を送っていた灯花が叶えたかった望みを命と引き換えに見せてくれます。しかし見せてくれるのは白昼夢に変わりないという残酷な一面を持っています。

PENNEN・NOLDEは宮沢賢治が残した「グスコーブドリの伝記」の元となったとされる箇条書きにされたメモに登場する人物「ペンネンノルデ」のことです。
このノルデも、ネネムもグスコーブドリの物語ができる途上で生まれた存在です。どちらも作品として世に現れず、グスコーブドリの伝記という作品が完成されなければ存在自体が認知されることもなかったでしょう。
灯花もまた、生き続ければ世界に名をとどろかせるほどの天才ではありましたが、魔法少女となる世界線でなければ、静かに儚く生涯を終えています。
そんな淡くて消えそうな儚い存在という意味も込めてPENNEN・NOLDEの名が与えられたのでしょう。



アリナ・グレイのドッペル

アリナ・グレイ

ドッペル名:OLD DOROTHY

熱病のドッペル その姿は、チューブ

説明
この感情の主は自身のドッペルの美しさに見惚れているが、このドッペルの真の姿が隠されていることをまだ知らない。主の背中側にあるドッペル本体から流れ出る病原テンペラと呼ばれる絵の具を固めて偽りの巨大な容姿を作り上げ相手を攻撃する。その際に人間体は絵の具の中に埋もれて完全に表からは見えなくなるため、ドッペルでありながら魔女のような出で立ちを誇る。主はドッペルの外観を確認できないものの、曰く”内側から見ても素晴らしい”らしい。


ドッペルとつながる部分
背中


ドッペル発動時のセリフ
「キター、アリナの美しいドッペル」




熱病が強調されているのは、ドッペルから流しだされる病原テンペラからきていると考えられます。テンペラとは、乳化作用を用いた絵画技法や絵の具をさし、混ぜ合わせるという意味があります。アリナにとっては生と死の表現にこだわっていたため、生と死が混ぜ合わさったものがこの病原テンペラなのです。チューブは、このドッペルの本体であるアリナの背中にいるヤツを示しています。モチーフは絵の具のチューブです。


OLD DOROTHYとは、おそらくオールド・ドロシー・クラッターバックのことを指していると考えられます。オールド・ドロシー・クラッターバックはジェラルド・ガードナーという魔女宗を広めるきっかけを作る人物を魔女の世界へ導きました。ドロシー本人はというと、魔女の中で一番洞察力があり、秘密主義者であるとされています。

マギアレコードでいう魔女宗はまさに「マギウス」です。マギウスを結成する、参加するきっかけがこのドッペルだとするとアリナにとってこのドッペルという存在自体がオールド・ドロシーの役割を果たしたのです。

ホーリーアリナとなっているときは、姿は絞り袋となっています。絞り袋は製菓用の料理器具であり、よくケーキ作りに用いられます。これはアートのキャンパスがケーキへと移っていることを意味し、季節感に影響されていることがうかがえます。



御園かりんのドッペル

御園かりん

ドッペル名:MCDOUGAL

枕探しのドッペル その姿は、モートセーフ

説明
この感情の主は臆病であるがためにこのような頑強なドッペルを生み出した。失うことを恐れ、得ることに執着する。このドッペルは主同様手癖が悪くあらゆるものをかすめ取る。その対象は自身の仲間にすら及ぶだろう。一度手に入れたものは決して離さないがめつさを持ち非常に欲深い。


ドッペルとつながる部分
右手


ドッペル発動時のセリフ
「これぞ我本質」


枕探しとは、就寝中の人がいる部屋に忍び込み、枕元にある金品を盗む行為のことです。つまり、盗む力を持っていることを意味します。かりんの固有魔法も相手の持ち物を奪うことから、その力が反映されたと考えることができます。
モートセーフとは、死体泥棒から墓を守るために作られた鉄柵のことです。このドッペル自体がモートセーフの見た目をしていることから、盗んだもの、自分のものは死んでも失いたくないという考えがうかがえます。


MCDOUGALはつづりが少し異なりますが、ウィリアム・マクドゥーガルを指していると考えられます。ウィリアム・マクドゥーガルは本能論心理学というものを提唱した人物です。人間の行動の原因は学習ではなく本能だという考えが本能論心理学です。
世間ではどんな行動も本能が原因だというならば、無数の本能があるではないかと批判的な見方をされてしまっています。
本能論では、本能が行動を起こす推進力になっているということを主張しています。

かりんは願いの原因となった祖母と血縁関係にあります。しかしかりんの祖母は手癖が悪く、それが原因で捕まった経歴を持っています。かりんは祖母が大好きで、過去に起こしたことを気にはしているものの嫌いになることはありません。祖母の手癖の悪さがもし本能だとしたならば、かりんの盗む力もまた、祖母から受け継がれた本能です。本能が働いて人を困らせてしまった祖母に代わり、かりんはその本能を利用して人を助ける存在になりたいと願いました。
盗んでしまう行動を本能と決めつけ、本能に従い、人を助ける。このドッペルには、かりんについての本能論心理学が反映されているのです。



竜城明日香のドッペル

竜城明日香

ドッペル名:HENRIETTA

猛進のドッペル その姿は、陣太鼓

説明
この感情の主はこのドッペルの力は自らを高めるためのものだと気合十分。太鼓の音を響かせて自らを鼓舞すると、号令を放って仲間を勇猛果敢な戦士にする。ところが、主の粗忽さはドッペルも受け継いでおり、一度発揮されると、仲間たちは自分の意志とは関係なく大失態を演じてしまう。そんな理不尽さから仲間内の評判は散々。粗相の後は自害しようとするところも似ているので、厄介なドッペルである。

ドッペルとつながる部分
背中

ドッペル発動時のセリフ
「はあぁぁ、召喚!」

陣太鼓とは、昔の戦場で兵士たちへの進退の合図として使用されていた道具です。同時に兵士たちの士気上げにも使われていました。
 猛進は猛烈な勢いで進撃するという意味があります。つまり、このドッペルは仲間の士気を上げると同時に、猛進させる号令を出すということになります。しかしドッペルによって味方へもたらされるのはダメージの受ける量を軽減させるだけです。どうやらこのドッペルにとっての勇猛果敢とは恐れずに思い切って実行できることと考えているようです。

HENRIETTAはフランス語圏ではアンリエッタ、英語圏などではヘンリエッタと読まれる女性名として使用されています。また、ヘンリーの女性形とされていて、男性形のヘンリーで家長の意味を持つことから、女性の家長、つまり竜真流を扱う竜城の家長を意味します。まだ師範代の身ですが、一人娘であるためいずれ竜城家の家長となるでしょう。



柊ねむのドッペル

柊ねむ

ドッペル名:PENNEN・NENEMU

遺言のドッペル その姿は、死番虫

説明
この感情の主は残る人生の全てを捧げる。両手の虫頭で物語を食べ、その物語をこの世に具現化させるという非常に馬鹿げた規模の力を発揮する恐ろしいドッペル。
その力の源はただでさえ残り少ない主の命であり、主の残り寿命が短くなればなるほどこのドッペルの力は増していくという。
ただし、力の全てを物語具現の能力に使っているため直接的な攻撃能力は低く、魔女に襲われればひとたまりもないだろう。

ドッペルとつながる部分
髪の毛

ドッペル発動時のセリフ
「対となる僕が」

遺言は死者が最後に遺したとされる言葉であり、その言葉が親しい生きる者、子孫へ語り継がれることもあります。なぜ遺言が性質になってしまうのかというと、ドッペルを発動することはねむが一度死ぬにふさわしいほど負担がかかるものだからです。まさにドッペル発動の際に使用した物語はねむの遺言となり、魔力が続く限り世に残り続けるのです。

死番虫は木材のみならず古書を食べて本としての機能を失わせてしまう害虫とされています。死番虫という名前の由来は、仲間同士の交信方法から由来します。死番虫は仲間と交信を行う際に頭を打ち付ける習性があります。その音が死神が持つ死の秒読み時計を連想させたことが始まりです。
そんな死番虫がこのドッペルとどのように関係してくるのかというと、物語を食べてしまうという点です。
ちなみに、いろはや灯花、ねむのドッペルに共通して存在する髪の毛を吸い込む穴は、「うい」という存在に関する物語を死番虫が食べてしまった結果空いた穴と考えることができます。
このように、このドッペルの扱いを間違えると対象の人物の物語つまりは記憶も食べてしまうという最凶のドッペルになり果てるのです。

PENNEN・NENEMUというドッペル名は「グスコーブドリの伝記」の初稿「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」が由来となっています。
ペンネンネンネン・ネネムの伝記の著者は宮沢賢治です。もとは化け物の世界を舞台としていましたが物語を執筆している間にテーマなどががらりと変わり、最終的にはグスコーブドリの伝記として世に出ました。
グスコーブドリの伝記の主人公ブドリはイーハトーブという森を冷害から救うために犠牲となって終わる物語です。
ねむが第一部の終盤で見せた自分が犠牲となる行為はグスコーブドリの伝記にちなんでいたのかもしれません。

魔法少女一覧でマギウスの1人である柊ねむ、物語の重要人物である環うい、和泉十七夜がメインメンバーから離れた位置に登録されている理由は、この3人が「宮沢賢治の残した物語から考え出された魔法少女」だからです。
銀河鉄道の夜を軸として物語を組み立て、登場人物を整理している中でもしかしたら「宮沢賢治に関わる作品から設定を考えよう」という後付け設定として魔法少女一覧に登録されたのかもしれません。



環ういのドッペル

環うい

ドッペル名:SHITORI EGUMO

受難のドッペル その姿は、幸福な彫像

説明
この感情の主は愛する者達とあらゆる苦難を共にし、自らのものとして背負い込む。そして苦難は宝石へと姿を変え、ドッペルを飾る宝石の量に比例してその強さも増してゆく。
ただし動けないので攻撃は全くかわせず、盾と剣を持っているが装飾品なので武器としては使用できない。

ドッペルとつながる部分
両腕

ドッペル発動時のセリフ
「また出てくる」

受難は苦しみや災いを受けることを意味し、ういが手に入れた回収の能力が反映された結果でしょう。ういは魔法少女であるときも、そうでなかったとしても呪いや災いを背負い込もうとします。
幸福な彫刻というのは「幸福な王子」というオスカー・ワイルドの作品に登場する人物を指します。
王子の像はいつもそばにいてくれるツバメと一緒に困っている人たちへ持っている宝石や自分の体を覆っている金箔を分け与えていくというストーリーです。
最終的には何の価値も無くなってしまった像と、寒さに凍えて死んでしまうツバメが残ってゴミために捨てられてしまうという悲しい結末となっています。(ただし最終的には天に召される)

ういの誰かのために自分が苦しむというどこか自己犠牲な考え方とツバメをモチーフにした凧を武器にしているのは、「幸福な王子」の影響を強く受けていることを意味します。

また、マギレコキャラの中で唯一魔女の状態が公開されているのがういです。
ドッペルは感情の写しではなく、魔女の写しであると多次元目録では主張し続けています。その法則がしっかりと現れています。
魔女の名はドッペル名と同様であり、性質が「○○のドッペル」の○○に入る言葉となり、「△△の魔女」の△△へドッペルの姿となる単語が入ります。

しかし、ういの場合は「幸福”な”魔女」と記載されることとなります。
これは、本来ならば「幸福な彫像の魔女」となるはずが”半魔女である”ということが原因で「幸福な魔女」という中途半端な状態となってしまっているのです。

ちなみに使い魔の名前はオスカーであり、幸福な王子の作者の名前であることもわかります。

SHITORI EGUMOについては”魔女文字まとめ“で説明しています。



和泉十七夜のドッペル

和泉十七夜

ドッペル名:CATACOBM

解体のドッペル その姿は、竈獅子

説明
この感情の主がもつ冷静さとは裏腹に、このドッペルは底知れぬ怒りに燃えて全てを噛み砕き寸断する獅子の姿を持ち、一切の不当を許さず、すべての不合理を解体する。その性格は苛烈そのもので、特に神浜在住というだけで即解体対象となってしまうため、発動時は味方を巻き込まないよう注意が必要となる。このドッペルを使い続ければ、些細な不平等も許せなくなってゆくだろう。主はこのちからを持て余しているが、獅子に半分同感している。



ドッペルとつながる部分
顔、手


ドッペル発動時のセリフ
「これ以上の不条理は許さん」



このドッペルの指す解体は「第三者の手によって人間集団を解散させること」を意味します。十七夜の考えている神浜の破壊とは、東へ偏見をもたらした神浜という都市の人間集団をめちゃくちゃにし、再編を目指すという狙いがあります。
ストーリーでは破壊と表現してはいますが、神浜市そのものを無きものとしたいわけではありません。

竈獅子は”かまじし”と読み、宮沢賢治の作品「猫の事務所」に登場した存在であり、役所を解体するという役割を持っています。猫の事務所とは、猫たちによって構成された役所を舞台としていて、その中の一匹であるかま猫は他の猫たちからいじめられていました。しかし、かま猫は役所を支えるために一生懸命働きます。しかし、仕事を風邪で休んでしまったかま猫はそれだけが原因で仕事を取り上げられてしまいます。この様子を見ていた獅子がこの役所を解体してしまいます。
この解体した獅子が竈獅子と呼ばれているのです。神浜のかま猫的立場にある東側の人々が西側の人間によって仕事を取り上げられてしまったとき、十七夜はこの竈獅子のように神浜という集団を解体するのでしょう。

また、竈獅子は竈神を表しているとされていて、竈神は二つの領域の媒介、秩序の更新を行う役割を担っているとされています。


CATACOBMはカタコンベと読み、地下にある墓地のことです。昔、ローマで大量の遺体を埋めたくても土壌汚染の問題が起きてしまうことが問題となりました。そこで考えられたのが、地下にもともと存在した空洞を墓所として扱い、何百人という死者の遺体を洞窟の壁へロッカールームのように積み重ねていくことでした。その結果生まれたのがカタコンベです。
カタコンベは古代キリスト教徒の礼拝場という役割を持っていた時期があります。このころの古代キリスト教徒はローマ帝国で迫害されていました。

神浜で虐げられている東側の魔法少女達にとって、十七夜という存在は心のよりどころでした。また、本人も東側の魔法少女たちを背負っていると考えています。このドッペルは、東側の魔法少女にとってのカタコンベでもあるのです。



八雲みたまのドッペル

八雲みたま

ドッペル名:TOTENTANZ

メメントモリのドッペル その姿は、花弁

説明
この感情の主は、自分の環境を恨み、すべてを滅ぼそうとする。このドッペルは万物に等しく訪れる死を忘れず、舞い散る花弁全てを覆い隠し、白い手袋で少女たちを優雅にエスコートする。主と同様に直接的な攻撃方法を持たないが、万物の最期と共にあるその力はあまり恐ろしく、花弁で覆い隠したすべての魔力は朽ち果て、後には何も残らない。このドッペルを求めれば求めるほど、主の左腕はやがて完全に一体化するだろう。



ドッペルとつながる部分
左腕


ドッペル発動時のセリフ
「見たことを反省なさい」



メメントモリとは、ラテン語で「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という意味を持つ言葉です。神浜を滅ぼす存在になりたいというみたまの願いは死に関わる力をみたまへ与えました。
花弁は散華を意味しています。花弁はいつかすべて散ってしまい、散華の状態となります。散華は死を意味し、花弁が散ることは死に近づくことを意味します。



TOTENTANZはトーテンタンズと読み、死の舞踏を意味します。死の舞踏は、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるというフランス詩が起源とされています。その内容は、死は貧富の差、身分、人種、性別などあらゆる区別に関係なく訪れ、最終的にすべては無に統合されるというものです。

みたまがマギアを放つ時に発する一緒に溶け込むという言葉には、皆同じ状態「無」へと変わるために溶けてしまおうという意味があります。溶けると原型がなくなり、区別がなくなります。すべてが同じ、すべてが自分であり、すべてが皆である。複数の個体が一つの意識を共有する状態がみたまにとって望ましいことなのです。
簡単に言えば、キュゥべえと同じ状態になるか、円環の理に導かれるかのどちらかです。神浜には円環の理が作用しないため、みたまの力は最終的に神浜の人々をキュゥべえと同じ状態にしてしまうのでしょう。


みたまは、神浜という集合体を「無」に統合する存在となったのです。



天音姉妹のドッペル

天音月夜

ドッペル名:DUM

隔絶のドッペル その姿は、テラリウム

説明
この感情の主は、自身の起源や感情に囚われず、理解者たる自らの半身に依存する。このドッペルによって、自分たち以外のすべてから隔絶した二人に、この世あらゆる変化は影響を及ぼすことなく、この小さな半星に存在する二人は、お互いしか必要としない。
このドッペルが出現することであらゆる物質現象と時間はシャットアウトされ、身の安全は保障されるが、その副作用として自分たち以外の他者の記憶が消えていってしまう。

ドッペルに変化した部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)

ドッペル発動時のセリフ
「異論は認めません」

 

天音月咲

ドッペル名:DEE

無縁のドッペル その姿は、アクアリウム

説明
この感情の主は、自身の環境や境遇に囚われず、理解者たる自らの半身に溺れる。このドッペルによって、自分たちを自分たち以外の全ての因縁から切り離された二人に、どれだけ意見を述べて高圧的な態度をとっても、この小さな半星に存在する限りお互いの間隔しか信じれないので、理解されることはない。
このドッペルが出現することで多様な価値観はシャットアウトされ精神を安定させる効果を持つが、その副作用として社会的倫理観も希薄になってしまう。

ドッペルに変化した部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)

ドッペル発動時のセリフ
「うちだって頑張ってるんだから」

 

テラリウムは動植物を飼育、栽培する際に用いるガラス容器のことです。月咲との二人だけの空間としてテラリウムになっているようですが、二人の様子が外部からは丸見えとなってしまうことは考慮していないようです。
また、アクアリウムは水生生物を飼育する飼育設備のことです。
天音姉妹がそろうと陸も海も存在する二人だけの世界が完成するという仕組みです。どれほど完成された二人だけの世界が出来上がっても、やはり外から見られてしまうことは考慮していないようです。


隔絶は遠く隔たっていること、かけ離れていることを意味し、月咲と二人で願ったお互いの生まれからの隔絶に通じるものがあります。
無縁とは、縁のないこと、関係のないことを意味します。月夜との関係以外は縁がない、関係ないと考えていることがこのドッペルに反映されています。


それぞれドッペルの名前であるDUMとDEEはマザー・グースの一つとされている童話「Tweedldum and Tweedldee」のTweedlに続くDUMとDEEから来ています。この話は鏡の国のアリスで使用されています。
この話の内容としては、兄弟らしき二人の人物がおもちゃのガラガラをめぐって争うという滑稽な内容となっています。
この話の内容になぞらえて、「まるでトゥイードルダムとトゥイードルディーのようだ!」という言い回しがあります。この言葉は、お互いに相争いながらも実際にはよく似ている二人の人物を指すときに使用されます。
魔法少女になる前の二人はお互いの育ちの違いで言い争ってはお互いを恋しく思っていました。育ちと境遇に邪魔をされていましたが、魔法少女になって叶ったことは二人の間だけでの自己完結にとどまり、周囲は何も変わっていません。
そんな二人には第三者から見るとTweedldum and Tweedldeeの内容を見た時の感想と同様の「勝手にやってろ」という言葉を発してしまうでしょう。
しかしその言葉は二人にとっては隔絶された、無縁のことであるため気にも留めないでしょう。



煌里ひかるのドッペル

煌里ひかる

ドッペル名:MERKAVA

鈍重のドッペル その姿は、戦車

説明
この感情の主は他者のためにあることを至極の喜びだと感じ、自身のことになると怠惰を極めるので、己の分身である存在を引っ張ることに複雑な気持ちを拭えない。
このドッペルは主の力を原動力にしているため、自ら進んで行動することはできないが、主によって投げられると、その重厚かつ頑強な体を打ち付けて、たちまち相手を潰してしまう。ドッペル自身は人の役に立てることに喜びを感じているので、抱擁するつもりで飛び込んでいるのだが、投げられると体から巨大な刃が出てきてしまうので、いつも失敗だと思っている。

 

ドッペルとつながる部分
背中


ドッペル発動時のセリフ
「あの人を奪わないで」

 

鈍重とは、動作や反応が鈍く、のろい感じがすることまたは雰囲気や状態などがけだるく不活発なさまを意味します。ひかるに対しては後者が当てはまります。
戦車は現代で言うと機械的な戦闘に特化した車両のことを意味しますが、古き時代で言うと馬などが引く戦闘向きの馬車(チャリオット)も戦車と呼ばれています。
これはドッペルの見た目からすると、馬車の方が当てはまります。

MERKAVAはヘブライ語で騎馬戦車を意味し、エゼキエル書という旧約聖書に属する書物に登場する神の戦車を意味するメルカバ―に由来するとされています。

性質も、名前も騎馬戦車に関係のあるものとなってはいますが、ひかるはプロミスドブラッドの従者であり、馬であると考えています。しかしながらドッペル自体はそんな馬に引かれなければ何もできない馬車です。

そう、ドッペルに映し出されているのは夢中になれるものを見つける前のひかるです。原動力となるものがなければ見る見るうちに歩みが遅くなり、最終的には止まってしまう、つまりはあきらめてしまうということを繰り返してきました。
しかし今は結菜という夢中になれる存在を見つけたため、原動力が弱まることはありません。
その原動力となる存在が消えたとき、生きるという歩み自体も止めてしまうかもしれません。



笠音アオのドッペル

笠音アオ

ドッペル名:HALIFAX

悪果のドッペル その姿は、叢雲

説明
この感情の主は非情の皮をかぶった有情の者。やむを得ず他を傷つけることへの自責が拭えず、その苦境から逃れる為に再び傷つけることで、負の連鎖を繰り返す。
このドッペルはそんな主を捕らえると、苦しみから解き放つために首を刎ね、その瞬間だけ責任を取るという解放感を与える。だが頭が良い主は、全てが自己満足のまやかしであることに気付いて懊悩すると、解放されない自責を固めて一つの巨人となり、行き場のない感情を八つ当たりという形で解放しようとする。
こうして罪は断じられることも散ることもなく、群がり続けるだろう。

 

ドッペルとつながる部分


ドッペル発動時のセリフ
「これが私の報い」

 

悪果とは悪い報いを意味し、悪いことをしていると気づきながらも悪い行いをするアオにいずれ訪れる結果をこのドッペルが象徴しているのです。ドッペルは少しでも気持ちが軽くなるようその報いを受ける機会を与えますが、残念ながらアオにはまやかしな行いだと気づかれてしまってるようです。

叢雲とは群れのように集まった雲を意味し、ここでいう雲はアオの背負う罪のことを表しています。行き場のない気持ちを八つ当たりで解消するという罪が新たな罪を呼び、すべてが解決するまで罪という雲は群れの規模を拡大していくのです。

HALIFAXとは地獄に落ちろ!という意味を持つ慣用句「GO TO HALIFAX!」に使用される単語です。HALIFAXは地名として使用されていますが、その土地では軽犯罪でも首を刎ねられていたという歴史があることから慣用句として使用されるようになりました。
このドッペルはまさに罪を重ね続けるアオに対して「地獄に落ちろ!」と語りかけているのでしょう。しかしドッペルが与えるのは首を刎ねるまやかしのみ。
アオを楽にはさせず、ただただ精神的な苦しみを味わい続けさせるこのドッペル自体が、アオに対する報いの権化なのです。



広江ちはるのドッペル

広江ちはる

ドッペル名:OAJI

より抜きのドッペル その姿は、袖搦

説明
この感情の主は悪を暴き、捕縛するための能力だと胸を張るが、その実態は主の代わりに淵へ沈める6人の生贄を求めるドッペルである。
相手がどれほどうまく隠れようと、その頭部の灯りはすべてを白日の下に晒しだし、三又の鉤爪で沼の底へと引きずり込む。沼底へ引き込んだ者の数が増えれば増えるほどこのドッペルの力も増すが、それはやがて主に降りかかる災いともなるだろう。
しかしながら、それでもこのドッペルは主へ害を為す者を排除するための力を溜めることに躍起になっている。

 

ドッペルとつながる部分
左足


ドッペル発動時のセリフ
「私の願い、返して」

 

より抜きとは、多くのものから優れたものを抜き出すという意味があります。このドッペルの行動原理によると、特定の6人を沼底に沈めようとしていて、ただ6人沼底に沈めればよいというわけではないことがわかります。
特定の力を持つものを引きずり込まなければ、ドッペル自体は満足しないのでしょう。

袖搦(そでがらみ)とは、江戸時代に使用された三つ道具と呼ばれるうちの一つです。それは罪人をとらえるために釣り針のような棘がいくつもついた長柄の道具であり、一度捕まるとほぼ抜け出せない形をしています。

OAJIは「お阿字」と解釈でき、静岡県に存在する生贄伝説の登場人物から来ています。その名は「三股淵」と呼ばれていて、三つの川が合流する地点に大蛇が住んでいて、近くにある里は大蛇がもたらす災いに困っていました。
そんな大蛇の怒りを鎮めるために12年に一度生贄を与えるという習慣がその里にはありました。
そんな里の近くへ阿字を含めた7人の巫子が通りかかり、宿で引かされたくじによってお阿字が生贄に捧げられることになってしまいます。
お阿字を犠牲にできないと思った6人は三股淵に身を投げ、お阿字は生き残ることができました。しかし、お阿字は6人を殺してしまった責任感からか、自ら身を投げてしまいます。

ドッペルの説明にある6人という生贄の数は三股淵の話に大きく影響を受けた内容であり、今後登場する時女一族の総人数はちはる含めた7人になるという意味を表しているのかもしれません。



土岐すなおのドッペル

土岐すなお

ドッペル名:MARITA

諦念のドッペル その姿は、サシガメ

説明
この感情の主は、己から出てきた鋭利かつ獰猛な存在を目の当たりにして、その内に自身の過去を投影しながら、悔いるように見つめている。
音を立てることなく俊敏に移動するこのドッペルは、ターゲットに気配を感じさせずに接近すると針のような口を鞭のようにしならせて串刺しにし、相手の生命を吸収してしまう。手こずるような相手でも、忍んで近付いては4本の腕を使って弱らせてから吸い取ってしまい、ドッペルの主はただ赤く染まる水晶を見つめながら、止めることのできないドッペルに振り回される。

ドッペルに変化した部分
下半身

ドッペル発動時のセリフ
「過去の闇が私に」

諦念とは何かを悟ったように迷いがなく、あらゆることを諦めているという意味があります。
すなおにとって何もかも諦めていた時期というのは、神子柴のもとで暗殺を行っていたころです。抗っては家族に被害が及ぶという状況下の中、何もかもを諦めていたころのすなおのことを表しています。
サシガメというのは肉食性のカメムシのことです。ドッペルの見た目通りな細長い見た目をしていて、エサとなる昆虫へ毒を撃ち込み、吸血するための細長い口があります。
人へ刺す事例もあり、刺されると蜂に刺されたときほどの痛みがあるといわれています。
なぜサシガメなのかというと、素早く忍び寄っては殺した魔法少女の数だけすなおの心が血に染まっていく様子を吸血としてとらえているからでしょう。

MARITAはイタリア語圏で使用されている女性名であり、その語源はマジョラムという冥福を祈って死装束へ使用されるハーブです。
また、「MARITA」という映画があり、キューバ革命時にキューバの議長だったカストロへ恋したマリタが主人公である映画です。
内容としては、CIAに勧誘されたマリタは夫であるカストロを暗殺することになって何度も暗殺を企てますが結局は殺せずに失敗してしまいます。CIAの武装集団へ入隊するも、負傷したことを理由にCIAを離脱したとされています。

この、身内を暗殺する立場でありながら自らの意思が働いて何度も失敗してしまうという点が過去のすなおと一致しているためMARITAというドッペルの名が与えられたのでしょう。



宮尾時雨のドッペル

宮尾時雨

ドッペル名:AZTEKIUM

隔意のドッペル その姿は、刺座

説明
この感情の主は、過剰に周囲を警戒する割に自身で対処する手段を持たないので、己から出てきた存在に守ってもらうことに抵抗がない。
このドッペルは鋭利なトゲと固い表皮を持ち、主に似て自分を守ることに必死。攻撃的ではないが、ストレスを受ける度にひとつずつスイッチが入ってタガが外れてゆき、全てがONになると有無を言わさず、電磁レールガンで障壁を消し飛ばす。
主の相手を忌避(きひ)しようとする感情と、このドッペルのストレス対象が一致したとき、その命中率は飛躍的に向上する。

ドッペルに変化した部分

ドッペル発動時のセリフ
「ぼくはもう見ない」

隔意とは心に隔たりがあること、打ち解けられない気持ちを意味します。時雨にとっては心に隔たりがあるという意味が当てはまり、守ってもらいたいと思いながら誰とも距離をとってしまいがちです。
刺座はサボテンの針の根元にある綿毛のような場所のことです。刺座は多肉植物かサボテンなのかを見分ける指標となり、これがあるものはサボテンとして分類されます。サボテンはこの刺座がある場所から棘が生えています。

AZTEKIUMは希少なサボテンの属名であり、AZTEKIUMの形状がアステカ(AZTEC)文明時代の彫刻に通ずるものがあったため、AZTEKIUMという属名が与えられたとされています。
AZTEKIUMは棘が生えたとしてもすぐに抜け落ちて刺座だけとなり、さらにはサボテン科の中でも最も成長が遅いとされています。成長が遅いうえに自衛力がほとんどないこのサボテンは主である時雨の在り方を表しているかのようです。
そんなサボテンに見合わないレールガンは、時雨が好きなプログラミングが主を守るために具現化したものなのかもしれません。



鹿目まどかのドッペル

鹿目まどか

ドッペル名:KRIEMHILD GRETCHEN

慈悲のドッペル その姿は、救済

説明
この感情の主は、万物を救おうと試みる。
浮遊する巨大なソウルジェムに見えるこのドッペルが現れた時、周囲のものは全てこのドッペルが生み出したものの体内に取り込まれ、体の自由を奪われる。
その後、このドッペルが大きく浮遊して光り輝くと、周囲一帯は光の矢に包まれることになる。
その最中、感情の主は巨大なソウルジェムの中で眠り続けている。

ドッペルに変化した部分
ソウルジェム(魂)?

ドッペル発動時のセリフ
「私の中から出てきて」

 

そもそもまどかのドッペルの名前はまどマギ本編中に出てくるまどかの魔女の名前と同じです。
魔女の際の説明文はこのようになっています。

救済の魔女。その性質は慈悲。
この星の全ての生命を強制的に吸い上げ彼女の作った新しい天国(結界)へと導いていく。 この魔女を倒したくば世界中の不幸を取り除く以外に方法は無い。 もし世界中から悲しみがなくなれば魔女はここが天国であると錯覚するだろう。

ここで注目したいのは、ドッペルの名前は魔女のときの性質であり、ドッペルの姿は魔女の名前であることです。
このように、ドッペルはその魔法少女が魔女になった時の姿を鏡に写したような存在だとここからも知ることができます。
さらに、ドッペルが与える影響は攻撃対象だけでなく周囲に無差別に作用するということです。慈悲のドッペルは仲間を、守りたい人々をドッペルに閉じ込めてそれ以外を光の矢で無慈悲に攻撃するという仕組みです。そのため、仲間にはダメージカットの効果がつくとも考えられます。

KRIEMHILD GRETCHENという人物は存在せず、KRIEMHILDとGRETCHENという二人の人物の特徴からとった魔女の名前だと考えられます。
KRIEMHILDはジークフリートの妻を指しています。KRIEMHILDはジークフリートの死後、長い間ジークフリートの死を悲しみ続けたということから慈悲の意味を持っています。
GRETCHENはファウストの妻であり、子殺しの罪で死刑となっています。しかし、天に贖罪と罪を求め続けた結果、GRETCHENは天に導かれたのです。その後、GRETCHENは聖母マリアと共にファウストを救済しようとします。つまり、救済を意味する部分です。
このドッペルの名前は、慈悲と救済からできているのです。それはまさにまどかの願いと思いからできたものでもあります。



暁美ほむらのドッペル

暁美ほむら(眼鏡ver.)

ドッペル名:HOMULILLY

閉鎖回路のドッペル その姿は、此岸

説明
この感情の主は、時を超え幾度もの試行錯誤を繰り返す。
因果を重ね続けるその姿は主とドッペルがほぼ全身にわたり一体化している。
肌はガラスとなり表情も人形のように固定され、対象が沈黙するまで淡々と攻撃を続けるその姿は他魔法少女と比べてもあまりに魔女に近い。
時間砂を操る能力をもつ他、帽子に乗せた宇宙生物から重要度の低い情報ならば抜き取ることができ、地球上に存在する武器程度であれば時間砂を硬化させ再現することが可能。

ドッペルとつながる部分
一体化

ドッペル発動時のセリフ
「いるんでしょ」

感情の振れ幅がなくなるにつれて一体化するという特徴を持つドッペルですが、ほむらの場合は神浜の年長者のドッペル以上に一体化しています。希望と絶望の相転移がほぼないに等しいですが、時間遡行を繰り返してきているためかドッペルの強さは確かです。
魔法少女まどか☆マギカ本編で魔女化を見せることがありませんでしたが、PSPゲームや叛逆の物語で魔女となった姿を現していました。その際すべてに共通していたのは HOMULILLYという魔女の呼び名だけで魔女の名前、性質はその場面ごとに異なるものでした。
 このドッペルはPSPゲームの際にあらわになったほむらが魔女化した場合に似ています。

此岸はこの世を意味し、煩悩に苦しみ続ける世界とも当てられます。まどかが救われる世界を求めて時間遡行を続けるほむらにとって、彼岸よりも此岸を求める思いが強いと考えられます。
閉鎖回路は抜け道がなく永遠に回り続けることを意味し、終わりのない時間遡行を繰り返すほむらを表しています。一定期間をめぐり続けるほむらにとって神浜市というイレギュラーは閉鎖回路を破る可能性となりました。

HOMULILLYは見滝原の魔法少女共通の造語の呼び名です。 LILLYはユリの花を意味し、葬儀の花としても使われます。 LILY は彼岸花を英語表記する際に使用されることから、 HOMULILLY は此岸の魔女からとり、此岸花という意味があるのかもしれません。きっと此岸花は煩悩にあふれた禍々しい花なのでしょう。此岸に咲く花なのですから。


暁美ほむらのドッペルは性質が業因となっています。業因には未来の苦楽へ報いをもたらす善悪の行為という意味があります。彼女の行いによって、未来の因果が大きく変わったことは間違いありません。また、ドッペルから出てくる14の感情は、時間遡行を繰り返すたびにほむらから欠落していった感情たちなのかもしれません。15番目の感情は生れ落ちておらず、15番目が姿を現すときには、感情の主は悪魔となってしまっているかもしれません。



美樹さやかのドッペル

美樹さやか

ドッペル名:OKTVIA VON SECKENDORFF

恋慕のドッペル その姿は、人魚

説明
この感情の主は年相応の恋に悩み、一人では背負いきれぬほど過酷な運命を選択した。
そしてそのドッペルもまた恋を夢見ながら空中を自在に泳ぎ回り、主の為にがらんどうの体から音を奏でる。
自身が発する音波にのせることで数多の剣を飛ばし操り攻撃できもするが、胸に秘めたわだかまりから逃れることはできないだろう。

ドッペルとつながる部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)

ドッペル発動時のセリフ
「後悔なんて、あるわけない」

 

ドッペルの中では珍しく、主自身がドッペルに掴まるような姿をしています。これはさやかの感情の正負の差がとてつもなく大きいことを指しています。
さやかも同様で、まどマギ本編で登場した魔女の性質と名前が逆の状態でドッペルに反映されています。

OKTVIA VON SECKENDORFFという人物は存在しません。
OKTVIAは音楽用語の「オクターヴ」を意味していて、VON SECKENDORFFは騎士を意味していると考えられます。SECKENDORFFは実在した貴族名ではありますが、VONは騎士を意味することもあるらしく、騎士のような姿をしていたさやかにマッチした名前です。オクターブの騎士と捉えることができます。
ちなみに、姿が人魚なのは、このドッペルが人魚姫をモチーフとしていることが関係しているからです。
人魚姫は溺れ死にそうだった王子を助け、恋に落ちます。しかし、王子は助けてくれたのが人魚姫だとは知りません。人魚姫は王子と結婚するために魔女と契約を交わし、声と引き換えに人間となることができました。声を出せないため、王子と共にいられても真実を語れない、不慣れな体で痛みを伴うという日々を送ります。さらには王子が隣国の姫君を妃に迎えることになります。
人魚姫は人魚に戻る方法がありましたが、それは王子の命を奪う方法であり、それはできないと考えて自ら死を選んだのです。
まさに、まどマギでさやかが歩んだ運命の顛末に一致します。



巴マミのドッペル

巴マミ

ドッペル名:CANDELORO

ご招待のドッペル その姿は、おめかし

説明
この感情の主は、ドッペルを信用せず、普段通り戦い続ける。
他と比べると非常に小柄であるこのドッペルは、頭上に位置するため、主にその姿を認識されることは滅多にない。
意思の疎通が取れているのかも怪しいため、主はいつもどおり戦い続けるが、このドッペルはそれを支援している。
通常時のドッペルを見る限りは小ぶりで頼りないが、その蔦は相手を貫くだけの破壊力を十分に持ち合わせている。

ドッペルとつながる部分

ドッペル発動時のセリフ
「出てきなさい」

ご招待は人を招き入れ、もてなす行為を言います。マミはよく友人を招いてはお茶会を開くという行為を積極的に行っていたことがドッペルに反映されています。
おめかしはおしゃれをすることと同じ意味です。魔法少女となったマミの日々を振り返るとおしゃれに気を使っている様子はありません。
魔法少女となる前は女の子らしくおしゃれを楽しみたいという願望があったのかもしれません。その気持ちが、ドッペルに反映されている可能性があります。

CANDELOROはイタリア語圏で苗字として使用されています。とはいえ使用例がとても少なく、意味も不明です。

ホーリーマミとなっていた間、ドッペルの名前と姿は変わっても、かつてのドッペル(ご招待のドッペル)と同じドッペル名なのです。ここからわかることは、たとえ魔法少女自身の心情が変わっても魔法少女となるために願った内容にドッペルの本来の姿は左右されるということです。また、完全にドッペルの姿が変わったわけではないということもこのドッペルから知ることができます。
本編中でもマミはホーリーマミになる前の巴マミとの間で葛藤していました。どこかにマギウスがもたらす救済への不信感があるということです。
つまり、ホーリーマミとかわっても、彼女はただの巴マミから変わってはいないということです。



佐倉杏子のドッペル

佐倉杏子

ドッペル名:OPHELIA

自棄のドッペル その姿は、武旦

説明
この感情の主は、得体の知れないこのちからを全く信用しておらず、ドッペルから武器を拝借し自分自身の手で刃を振るう。
主にとっては霧を操り幻を生み怪しげな催眠魔法を行使するこのドッペルの能力からして過去を思い起こさせるだけの忌々しいものでしかないが、それでも感情の底へしまい込んだかつての未練をこのドッペルは持っており胡散臭いと感じながらも出現後にある程度攻撃の手伝いをすることは容認している。
ちなみに、主を上にのせて走り回る燭台の部分とはためく着物のような部分はそれぞれ別個体らしくドッペルとしての本体は着物の方らしい。

ドッペルとつながる部分
体全体(ドッペルの本体である蝋燭部分が杏子となっている

ドッペル発動時のセリフ
「やるぞ、出てきやがれ」

自棄は二つの読み方がありますが、今回は「やけ」と読む方の意味です。思うように事が運ばず、やけくそになるという意味です。
かつては父親の活動を支援できて喜んでいましたが、その結果家族を死に追いやった自分が嫌になり、好き勝手振る舞うようになりました。そんなやけくそ気味な性格がドッペルに反映されているのです。

武旦は中国の古典劇で武器を振り回すアクション女優を表します。杏子自身も武器を振り回す戦闘スタイルです。

OPHELIAはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」に登場する女性オフィーリアを表しています。
オフィーリアはハムレットからの求愛を退けてしまいます。これはオフィーリアの父から求愛を退けるよう助言を受けたからです。その後、オフィーリアはハムレットから邪険にされ、追い打ちのように父が殺されてしまいます。
そして錯乱してしまったオフィーリアは小川で自殺してしまいます。

悲劇のヒロインであるオフィーリアの名前が付けられているのは素直な気持ちを心寄せたい相手(さやか)に届けようとしますが邪険に扱われてしまう、自分の行いで父が死んでしまうというまどマギ本編での杏子の立場とオフィーリアの顛末が類似しているからでしょう。



百江なぎさのドッペル

百江なぎさ

ドッペル名:CHARLOTTE

執着のドッペル その姿は、お菓子

説明
この感情の主は、ひとたび琴線に触れれば、ものであれ人であれ、とことん執着する。時にその行いはあさましく思えるが、根底に流れるのは深い愛情である。
このドッペルは一体型ではないが、鼻から覆面が出てきて、そのまますっぽりと宿主の顔を包み込んでしまう。ドッペルの出現中は動くことはせず、そのまま座り込んでじっとしている。まるで、執着した対象をじっと見つめているかのように。

ドッペルとつながる部分

ドッペル発動時のセリフ
「食べたい」

執着とは物や人に心を惹かれ、忘れきることができないという意味があります。なぎさの場合は病気である母親に執着し、さらには母親が好きだったというチーズにも執着する機会がありました。なぎさの人生の中で常に何かに執着しがちだった性格がドッペルに反映されているのです。

お菓子と一言で言えば甘いもの、幸せになるものと考えることができますが、なぎさにとってのお菓子はチーズという選択肢しかないのでしょう。

CHARLOTTEはヨーロッパ系の女性名です。ちなみに愛称だとロッテと呼ばれるそうです。ロッテといえばお菓子メーカー。
まさかそこからお菓子が?



都ひなののドッペル

都ひなの

ドッペル名:CYAN

軽忽のドッペル その姿は、スモッグ

説明
この感情の主は長くなった脚にご満悦。
その長い右足は内部を沸騰させ、左足は凝結による化学反応でそれぞれ上半身を構成する新たなガスを製造している。またガスで出来た体は物理攻撃にも強い耐性を誇るが、溢れるその毒性で周囲を巻き込んでしまうのがたまにキズ。
ひとたびこのドッペルが現れると、その周囲は敵味方問わず、強烈な毒に侵されてしまい主といえどもガスマスクの着用なくしては耐えきれないだろう。また、このドッペルは好奇心が強く、珍しい魔女や魔物には目がない。

ドッペルとつながる部分
足、頭

ドッペル発動時のセリフ
「だれがチビだ」

 

軽忽とは、「軽々しく」という意味を持っています。これは、軽い気持ちでやるべきではない実験をやってしまったひなのを意味しています。軽々しく危ない実験を行ったことも魔法少女になったきっかけであり、また、身長が伸びる薬の開発も、軽い気持ちでやる事ではありません。
スモッグはドッペル発動後に周囲を毒素で満たすことからきていると考えられます。このドッペルはまどかのドッペル同様、無差別に周囲を巻き込むドッペルだということです。ちなみに実際に周囲が危ない状況になることが、みたまの特訓のストーリーで語られています。

CYANは化学物質のシアン(ジシアン)を指していると考えられます。シアンは還元を行うことでシアン化水素を生じ、ジシアンを吸収すると頭痛や痙攣をおこし、死に至るとされています。
化学反応と死に至らせる有害物質ということから、ドッペル名として使用されたのでしょう。
ちなみにシアンに身長を伸ばす効果はありません。



常盤ななかのドッペル

常盤ななか

ドッペル名:MAURA

表裏のドッペル その姿は暖簾

説明
このドッペルは表裏の写し。この感情の主はこのドッペルに関し、あまりに花の要素がないことでどこか罪悪感を感じている。このドッペルは補助主体の表側と攻撃性の高い裏側を使い分けて戦う。相手の攻撃を受け流すのが得意な他、その暖簾をくぐった者をあの世へと導いてしまう。

ドッペルに変化する部分
ほとんどなし(首吊り状態)

ドッペル発動時のセリフ
「お相手を」

暖簾(のれん)は店先、あるいは部屋の境界に日よけや目隠しのために吊り下げる布のことを言います。暖簾を使った言葉は様々ですが、ななかに関わるものならば「暖簾に傷がつく」でしょう。華心流の門下生の行いに対して復讐を願ったななかにとって、 華心流の暖簾に傷がつく行為は心にしみついているはずです。その心の現れからか、ドッペルの姿は暖簾となっているのです。
性質が表裏なのは、ななか自身が人と接する際に建前と本音の表裏をよく使い分けていたからです。
また、 MAURAはイタリア語圏で女性名として使われることがありますが、この場合は「真裏」でしょう。ドッペルの姿自体が常に裏を見せているあたり、このドッペルの名前には「彼女には裏しかない」という意味が込められています。



木崎衣美里のドッペル

木崎衣美里

ドッペル名:SHALIMAR

誘惑のドッペル その姿はヘビイチゴ

説明
この感情の主は、善悪の概念がなく自由に振る舞うドッペルに親近感を覚えながら、自身の幼さを感じている。
脳内へ直接届く超音波の言葉であらゆることを肯定するこのドッペルは、自信と勇気を与えることでどんな悩みも解決させてしまう。その心地よい言葉は人々を大いに依存させるが、良かれと思って人間の攻撃性や悪性までも際限なく肯定してしまうため、意図せず対象を最悪の行動へと導いてしまうだろう。

 

ドッペルとつながる部分
尻尾(武器)


ドッペル発動時のセリフ
「来ちゃっていいよ!」

誘惑は不正な考えや邪な考えをちらつかせて他人を誘ったり惑わしたりすることを意味します。衣美里からよく飛び出す固定概念や社会的な考えに囚われない考え方は、よく考えるとそういった考えに反する行為を提案していることになります。
梨花へ魔法少女になればいいと軽く言えてしまうのも、無意識に誘惑してしまった結果でしょう。
ヘビイチゴはイチゴのような見た目をしているだけの多年草の一種です。名前の由来は蛇が居そうな場所に生息することから来ています。
ちなみにヘビイチゴの花言葉は可憐、小悪魔のような魅力です。
おそらく花言葉から影響されたのでしょう。

SHALIMARは香水の名前であり、サンスクリット語で「愛の神殿」を意味するシャリマー庭園から来ていて、この庭園はインドの皇帝が王妃のために用意したとされています。
香水ボトルの形状が大きく評価されたシャリマーですが、女性の魅力を底上げする至高の逸品ともいわれています。
そんな何でも魅了してしまう香水の在り方が、衣美里の在り方と似ているため、シャリマーという名が与えられたのでしょう。


 


胡桃まなかのドッペル

胡桃まなか

ドッペル名:CARMELA

集客のドッペル その姿はプロパン

説明
この感情の主は、自らの体から染み出す毒素によって毒料理しか生み出せないこのドッペルを快く思わない。このドッペルは、クラゲのような触手の先端についたバーナーを駆使してどんな料理もおいしい毒料理へと調理し、お客様を頭部のガラス球に完備された座席に無理やりご滞在願う。この魔女に調理された毒料理たちは意志をもち、率先してお客様の胃袋へ電撃訪問するため、座っているだけでも食事が可能。ちなみに毒料理だが味は良い。味は良いが出所不明の謎肉をはじめとし、呻く野菜、歩き回る果物など産地に不安が募る食材がふんだんに使用されている。

 

ドッペルとつながる部分
ほぼなし(ドッペルに乗っかっている)


ドッペル発動時のセリフ
「これがウォールナッツの味です!」

 

集客はそのままの意味であり、客が集まるようにふるまうことを意味します。これはまなかが望んで願った内容とは少し違います。本来ならばウォールナッツの名が知れ渡るチャンスだけでよかったにもかかわらずこのドッペルは客の関心を縛り付けて集客し、名が知れ渡るようにすると解釈してしまったようです。
リピーターが多ければ口コミで人気となるのは確かですが、もしドッペルの力で客を縛り付けた結果が集客につながってるとしたら、実力で名を知れ渡らせようとしたまなかには皮肉にしかなりません。
プロパンはガス燃料のことであり、料理関係のお店では数本並んでいる光景や、ガス缶の取り換え作業を行う風景が浮かびます。料理にとって大事な道具ですが、ドッペルには見た目でしか反映されていません。

CARMELAはイタリア語圏で使用される女性名で、由来は庭園という言葉から来ています。



夏目かこのドッペル

夏目かこ

ドッペル名:ANDREANA

勇み足のドッペル その姿は裁断

説明
この感情の主は躊躇なく刃物を振り回し大事な本丸ごと切り刻んでしまう自分のドッペルに怖がっているが、内心言い表せない開放感があることも事実である。
出現したドッペルは何事にも物怖じしてしまう主と違い、考えるより先にギロチン刃で切りきざみ、相手の肉体のみならず、あらゆる魔法の繋がりを寸断してしまう。
物理的に近距離しか攻撃できず、間違って仲間に斬りかかることもあるので隙が生じることも間々あるが、このドッペルは感情の主にはコントロールができないので、ただ怯えて固まることしかできない。

 

ドッペルとつながる部分
胸部(ソウルジェムがあった場所)


ドッペル発動時のセリフ
「お願い」

勇み足とは調子に乗って失敗したり、余計なことに踏み込みすぎて失敗する言葉として使用され、良い意味ではありません。ドッペル自身は勢い余って仲間を切り刻むという失敗をしてしまい、かこ自身の行動の中では、散花愁想であやめを説得するつもりが、帆奈に状況を利用されて逆に不審がらせてしまったという勇み足な行動をしたことがあります。

裁断とは物を断ち切るという意味のほかに、物事の善悪、適否を判断して決めることという意味があります。ドッペル的には物理的な意味があり、かこ自身からは物事の判断をきっぱりと決めることが多いことから後者の考えが反映されていると考えられます。

ANDREANAにはイタリア語圏の女性名で、女性系で男らしいという意味があります。また、ANDREANAという名前の温帯性睡蓮が存在し、かこが頭につけている花飾りが白い睡蓮であるならば、そこから取った名前なのかもしれません。
睡蓮の花言葉は清純な心という意味があります。
ドッペル自体については女性系の男らしいという意味が当てはまりますが、かこ自身には実際の花言葉が当てはまります。
このように、ドッペルと主で二面の考え方ができる意味がドッペルの名前、性質、姿に存在する点が面白いです。

 



純美雨のドッペル

純美雨

ドッペル名:DELANNA

安眠のドッペル その姿はタオル

説明
この感情の主はどこか幼稚でもあるこのドッペルを憎からず思う。
主の鋭さとは逆に幼子のような精神を持つこのドッペルは、ただ安眠を欲し、それが妨げられるとのたうち回って大暴れする他、赤ん坊のような声で泣きわめき相手の鼓膜を破壊する。
また、このドッペルがあくびをすれば、敵味方問わず周囲の生物には猛烈な睡魔が襲い掛かり、その柔らかな体にすり寄られた者にはこの上ない安眠が約束される。

 

ドッペルとつながる部分
左手


ドッペル発動時のセリフ
「悪鬼、招来!」

 

安眠とは、安らかにぐっすり眠ることを意味します。ちなみに美雨がひそかに安眠を欲していると考えられる一面が、「心溶ける枕」というメモリアで描かれています。
タオルはタオル。きっと柔らかい。

DELANNAとはイタリア語圏で使用される女性名であり、ウールのように柔らかいという意味があります。
ドッペルにこの名前が与えられたのはそのままの意味であり、安眠できる柔らかな存在ということを表しているのです。眠りを妨害されると暴れてしまうこのドッペルには、平和な日々(安眠できる日々)を脅かすものは許さないという美雨の心が映し出されているとも言えます。



相野みとのドッペル

相野みと

ドッペル名:AKAKIY

包括のドッペル その姿は外套

説明
この感情の主は美しい友情を永遠のものにしたいと願っている。
このドッペルはその体で包んだ物を一つの塊になるまで圧縮することで答えた。圧縮された物体は水晶となり、数千年にわたり輝き続け決して砕けることはない。
呼び出された際には主の感情を水晶に変えて攻撃するが、この力を使い続けた者はその記憶すらもやがて水晶となり新たな記憶を持つことができなくなるだろう。

ドッペルに変化する部分
背中

ドッペル発動時のセリフ
「出すしかないか」

包括とはまとめて一つにしてしまうという意味で、このドッペルが包んだ物をzipファイルとしてしまう行為を表しています。しかし一度圧縮した記憶は水晶に映り続けるだけであって開封することは叶いません。
外套とは周囲に対応するために着込む衣服のことであり、貝類の貝殻部分も外套に該当します。このドッペルが思い出の外套という役割を持っていることを表しているのでしょう。

AKAKIYはゴーゴリというロシア人が手掛けた文学作品「外套」に出てくる主人公の名前ではあるものの、その語源、名前の意味は実在するものではないため、作者が生み出したオリジナルの名前である可能性が高いです。
作品の内容については主人公が新しく買ったコートを知人に自慢した後に何者かに奪われてしまい、誰にも助けてもらえず死んでしまった後に亡霊として彷徨うようになるという内容です。
みとに合った内容とも思えないため、外套という言葉にちなんだ人名ということで選ばれただけでしょう。



粟根こころのドッペル

粟根こころ

ドッペル名:PAMELA

我慢のドッペル その姿は殻

説明
この感情の主は自身のドッペルのことを、自分が溜め込んでいる感情を発露してくれるものだと認識しているが、それが代償行為だと理解しているので、割り切れない気持ちで眺めている。
このドッペルは、害を加えようとする者に抵抗感を示してトゲを出し、危険と認識すれば激しく攻撃を加えてくる。
まれに、主の感情の高ぶりに合わせて爆発を引き起こすと、陶器とも金属とも違った強い強度を持つ殻が破られ、激しい魔力の波があたりを包み込む。

ドッペルに変化する部分
髪の毛の一部

ドッペル発動時のセリフ
「やられるなんて絶対にいや」

殻は貝や何かの建物といった大事なものを守るためにあるものです。そして、殻は外部からの衝撃から中身を守ると同時に犠牲となるものです。このドッペルが持つ殻はこころを守るためのものではなく、こころ自身を表しています。こころは守りたいという気持ちが強く、願いで呼び戻した母親、父親がそろった家族、そして戦う仲間たちを守りたいのです。しかしその守る対象に自分は含まれていません。このドッペルからはこころの危うさもうかがえるのです。その姿勢が献身的なのか、自己犠牲なのか。人によって見方が変わってくるでしょう。
我慢はそのままの意味であり、こころの我慢しがちな性格が現れています。

PAMELAは英語圏の女性名として使用されるほか、「すべてが甘い」という意味があります。こころが願った「お母さんに戻ってきてほしい」という願いは、母親が戻ってきたらすべてが元通りになるという甘さから生まれた願いです。本人もこのことについては自覚していて、素直に向き合っています。



七瀬ゆきかのドッペル

七瀬ゆきか

ドッペル名:POKER・ALICE

退屈のドッペル その姿はデアデビル

説明
この感情の主は安楽椅子に腰かけたまま平穏な人生に大いなる退屈を感じている。
このドッペルはデアデビル(命知らず)という架空の怪物の姿を模しており、主に眼前の危機を悟らせないために、両目を覆い隠している。
ドッペルは目下のところ無敗を誇っており、自信を圧倒する強敵が現れない現状に、主と同様の危険な退屈を覚えつつある。
そのため戦いは日々、背水の陣の度合いを増しているが、視界を遮られた主は鏡も安心して背中を委ねている。

ドッペルに変化する部分
背中

ドッペル発動時のセリフ
「何、この気配」

退屈はやることがなくて時間を持て余している状態に嫌気がさしている、現在進行中の事柄に関心を失い飽きているという意味です。

魔法少女になる前は、恵まれた環境、待遇、能力であるにもかかわらず日々変わらない毎日に退屈してしまったからという贅沢な願いが反映されています。ゆきか自身、黒羽根になるという未来がなければ、再び魔法少女として退屈な日々を送るほどの実力を持っているのは確かです。

デアデビルは説明本文にもある通り英語で命知らずという意味があります。怪物と表現されていますが、海外ではコミックに登場する架空のヒーローを指します。
このヒーローは両目を失明し、四感とレーダーセンスで戦うというハンデを背負ったヒーローです。
ドッペルに関係があるのは、「命知らず」という意味だけでしょう。

POKER・ALICEは実在したアメリカの女性ポーカープレイヤーのあだ名であり、ポーカーゲームで負けたことがないことで有名でした。また、夫の埋葬費のために質に入れた結婚指輪を得意なギャンブルで稼いで取り戻したり、自分の楽しみとなることを邪魔する人物へは容赦なく銃を向けるなど挑戦的な人生を送っていました。

このドッペルへはギャンブルという退屈していたゆきかが知った新たな刺激が具現化された存在であり、一歩間違えればどん底に落ちるような結末が待っていたとしても刺激のために挑戦し続けます。そんな命知らずなドッペルです。
ゆきかもまた、それを望み、身を委ねているのです。



更紗帆奈のドッペル

更紗帆奈

ドッペル名:HUND BALOU

反駁のドッペル その姿はペット

説明
この感情の主は、借り物の力を使って人を支配することを覚えた。やがてそれは欲となり、歪な形で具現化した。
これは虐げられてきた過去に根差す復讐の異様であり、逆転して肥大した自己の投影でもある。そこに後ろめたさはなく、純粋無垢な狂気だけがある。
このドッペルは数多のリードで相対する者を拘束し、その巨大な手で叩き潰してしまう。そして、常に快楽で打ち震えている。

ドッペルに変化する部分
首の裏側

ドッペル発動時のセリフ
「出てきた」

反駁(はんばく)は他人の意見に反対し、論じ返すという意味です。考えが狂った帆奈はどんな魔法少女の批判的な発言を浴びたとしても、純粋無垢な狂気で論じ返す場面が多々ありました。能力の上書き、邪魔なやつを消したいという願いから生まれた性質ではなく、狂った帆奈の在り方が反映された性質となっています。

ペットといえば犬や猫、インコといった大切にし、かわいがるための動物を示す言葉ですが、果たして帆奈のいうペットとは何なのか。
多くの魔女を使役し、ペットとする術を手に入れた帆奈にとって、自分のドッペルもペットのように扱っているのでしょう。しかしそのドッペルは自分の写しであり、自分がペットであると考えることと同義でもある。

HUND BALOUはHUNDがドイツ語で犬を表し、BALOUが「くまのような」を意味するドイツ語圏で犬につける名前の一つです。つまり、このドッペルはクマのような犬という意味を持つペットのような名前となっています。

ドッペルがペットの名前であるということは、帆奈がドッペルをペットだと思っているのか、それともドッペルが帆奈をペットだと思っているのかどちらにしろ自分をペットとしか考えられないような闇の深いドッペルとなっています。



眞尾ひみかのドッペル

眞尾ひみか

ドッペル名:BOND BOMB

離散のドッペル その姿は絆

説明
この感情の主は自分の奥底に眠っている本当の想いをドッペルによってがんじがらめにすることで、安心感を得ている。
このドッペルは自分のエゴを球体に変え、家族の絆と柵を蛇の姿に変えてがんじがらめにし、無理やりその場に留めようとしている。球体は自由になりたいが、形を保っていられるのは、蛇に縛られているおかげでもある。無理に振りほどけば球体は弾け飛んで消えてしまうが、この感情の主はそれを絶対許さない。

ドッペルに変化する部分
右手首

ドッペル発動時のセリフ
「こいつも出すよ」

離散はまとまっていた人々が離れ離れになるという意味を持ちます。何が離散するのかというと家族のことであり、そんな離散することをひみかは許しません。
絆と言えば人と人の助け合うさまを表した言葉ですが、本来の意味はしがらみ、束縛という意味を持っていました。ひみかは家族との絆を大事にしていますが、その絆は自分の欲を束縛する存在でもあります。このドッペルもまた、その絆を体現しています。

BONDは縛るものという意味をもつ他、絆を意味し、BOMBはそのまま爆弾という意味を持ちます。
束縛された爆弾、という解釈ができれば絆の爆弾というとらえ方もできます。どちらにしろ縛られた爆弾という意味を持ちますがこのドッペルが爆発するときは、ドッペルで自分の欲を抑えられなくなったときでしょう。

爆発することは離散を許したことを意味し、このドッペルは役目を終えるのでしょう。主と共に。



五十鈴れんのドッペル

五十鈴れん

ドッペル名:RENATA

電令のドッペル その姿は心電図

説明
この感情の主は、強力な電気信号を駆使し相手の悪意を人格もろとも焼き尽くすこのドッペルの能力に恐怖を覚える一方で、これが殺害以外の方法で人間の悪意を根絶させることができる唯一の方法ではないかという誘惑に悩む。
またこのドッペルは生死を司る力を持ち、その姿を現す時に主は一時的に精神が肉体と分離した幽体離脱状態となる。

ドッペルに変化する部分
精神

ドッペル発動時のセリフ
「心を殺さないで」

 

電令とは、電報の命令という意味です。この場合の電報は、相手の悪意を焼き尽くすという電気信号のことでしょう。このドッペルの攻撃手段です。
姿が心電図なのは、人の生死の判断は、脈を図る心電図が一番正確だからです。れんが何度も世界が嫌になり、死のうとしている過去がある事から、生死を司るこのドッペルは主が死のうとしたらすぐに蘇生できるよう、常に心電図を備えているのです。そして心電図で「死」と判断された場合はすぐに蘇生のために電流を発し、主を蘇生させ、主を死に導いた悪意を電波で焼き尽くします。
まさに、自殺間際に「生きたい」と願ったれんの願いが反映されているドッペルです。

RENATAはオランダ、ドイツ語の女性名で「再生させる者」を意味します。死から再生させるこのドッペルにぴったりな名前です。



静海このはのドッペル

静海このは

ドッペル名:TAGORI

報復のドッペル その姿は、狐

説明

この感情の主は様々な魔力を駆使し恨みある者達へ報復する。
このドッペルは三つ首狐拳のドッペルのひとりで報復の写し。魔法に長け怪火を操り相手を幻惑する。
例え水中であっても遺恨ある限りこの怪火が消えることはないだろう。
ドッペルの出現中、主は理性を失い、本能のままに行動しすさまじい跳躍力を発揮する。


ドッペルに変化する部分
首?

ドッペル発動時のセリフ
「これなら、どう」


報復は仕返し、復讐という言葉に置き換えられ、ひどいことをされたことに対してやり返すという意味があります。
このドッペルは3体そろって一つになるとのことから、アザレア組の願いの一つ、つつじの家を取り壊すことになった要因の排除が反映されていると考えられます。報復は願ったときの感情を映しているだけであり、このはが常に誰かに報復を考えているわけではありません。
姿が狐なのは、狐憑きから来ていると考えられます。狐憑きは精神が錯乱している状態を表す言葉です。ドッペル発動後に理性を失うことから、狐憑きの姿をしているのでしょう。

TAGORIはアマテラスとスサノオの誓約から誕生した宗像三女神の内のひとり、タゴリヒメから来ています。タゴリヒメのほかにタギツヒメ、イチキシマヒメがいます。
タゴリヒメは沖ノ鳥島に鎮座し続ける神であり、嫉妬深いとされています。また、鎮座し続けることが守ることであり、動いてしまうと災いを招いてしまうと考えがあるため、守ろうとすること以外はじっと動かないままでいるとされています。
このはの3人だけで生きていく、外部との関わり合いはよくないという考え方は、このタゴリヒメの在り方から来ているのでしょう。



梢麻友のドッペル

梢麻友

ドッペル名:NAOMI

寵愛のドッペル その姿は、撫子

説明
この感情の主は相手を誑かすことによって心を操るこのドッペルの能力に戸惑い、これが自身の写しであることに思い悩む。
このドッペルに裾を引かれたものはこのドッペルを愛さずにはいられない。こと異性に関しては死をも恐れぬ献身と絶対の従属を強制することができ、たとえ相手が同性であっても、その愛らしさに手をあげることは難しいだろう。
しかし、この力の多様により自身への妄信的な虜を量産する行為は、いずれ身を滅ぼすことになる。

ドッペルに変化する部分

ドッペル発動時のセリフ
「なんで勘違いされるの」

寵愛は特別に大切にして愛するという意味があります。麻友には無意識に異性を引き付けては虜にしてしまうという天然の魔性の女です。
その危うさがまた異性に限らず同性も引き付けるという恐ろしい体質がドッペルには色濃く反映されています。この魔性の女体質は魔法少女でありながら持っているため、やろうと思えばその辺を歩くだけで家庭崩壊を招く魔女のような存在になることもできます。
しかし本人はしっかりと自覚をしていて、この体質を頑張って押さえているようです。

撫子は愛しい子という意味があり、この名前を持つ花言葉は「純粋な愛」です。恋の虜にしてしまうという性質が強調されています。

NAOMIは日本人の女性名として使用されています。そんなナオミという単語はヘブライ語で「私の喜び」を意味し、谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」の主人公の名前でもあります。この小説に出るナオミは電機会社の技師に意のままに教育され、多くの男たちを翻弄し、ひざまずかせる魔性の女になるという話です。
ドッペルのコンセプト的には痴人の愛という小説に登場するナオミがモチーフになっていると考えることができます。もしヘブライ語の意味とダブルミーニングだとしたら意図して男を翻弄していることになります。
とらえ方によっては恐ろしいドッペルです。



史乃沙優希のドッペル

史乃沙優希

ドッペル名:GANNISHIKUDOKU

職責のドッペル その姿は、短刀

説明
この感情の主は他人から寄せられる過度な期待と羨望、巨大で勝手な好意の群れを、その身で抱え込むのが責務だと思い込んでいる。このドッペルはいつか主の心が尽きてしまい責任を果たせなくなったその時、最後の務めを手助けするために存在する。このドッペルの力の全ては基本的に主一人のために存在するが、慈悲深い性格のため主と共に旅立ってくれる道連れを1人だけ選定してくれる。ついうっかり道連れ役の者だけを先に旅立たせてしまうこともよくあるが、そこはご愛敬。

ドッペルに変化する部分
武器(マイク)

ドッペル発動時のセリフ
「沙優希は友達が」

職責は「やるべきこと」、「求められていること」に伴う責任を表す言葉です。ドッペルの説明文にもある通り、沙優希にとっての職責は「みんなを楽しませること、楽しいという気持ちを共有させること」であり、アイドルとしての心得がドッペルへ反映されています。
刀には刃の長さによって種類が異なり、短刀はナイフにあたる使い方がされています。この短刀は護身用として持ち歩くほか、切腹にも使用されていました。しかし短刀での切腹では即死することが困難であり、近くには切腹したものが苦しまないようすぐに首を切り落とす介錯人が傍にいる場合が多いです。このドッペルの場合は、介錯人がなぜか道連れ役の者から首を落としにかかります。

GANNISHIKUDOKUは「願以此功徳(がんいしくどく)」のことであり、仏教の用語です。その意味は自分が実施すべき「人のためになる良い行い」をすべての人に施して、ともに成仏したいと願うもの。一言で言えば「物事の終わり」を意味します。
沙優希が願った際の本意とはまったく違った方向へと進んでしまっているドッペルですが、あくまで主の感情の写し。楽しい気持ちを共有できなくなることは沙優希にとって「終わり」を意味するとすでに腹をくくっているのでしょう。



千秋理子のドッペル

千秋理子

ドッペル名:YUERAO

手繰りのドッペル その姿は、月下氷人

説明
この感情の主は、このドッペルが自身の心に潜むことを認めない。
このドッペルは、主の足元に厚い氷を展開し、その氷の中に出現する。攻撃時にはドッペルと主が入れ替わることで氷上へも出てくるが、その間、主は逆に氷中に閉じ込められてしまう。
氷上へ現れたドッペルは、あらゆる縁を手繰り寄せ奪い取る。
このドッペルは一度は自分で結んでしまった縁を回収することで現状の回帰を目論むが、一度繋がってしまった縁を今さら切断しても、ただ相手を氷の底へ沈めることにしかならないだろう。
このドッペルを使えば使うだけ、諦めていたはずの想いが主の心中に去来する。

ドッペルに変化する部分

ドッペル発動時のセリフ
「わたし、寂しいのは嫌」

手繰りは手で繰ること、手から手へ受け渡して物を運ぶ意味があります。この場合の手繰りは理子が尊敬するお姉さんに結婚するという縁が巡ってくるよう手繰り寄せた願いであることが影響しています。しかしこの願いによって理子はさみしい思いをするようになってしまいます。

月下氷人は男女の縁を取り持つ人のことを指します。理子が願わなければ、お姉さんは結婚することができなかったでしょう。

YUERAOは「月老」のことであり、縁結びの神を示したり、結婚の仲介人という月下氷人と同じ意味を表します。このドッペルは理子が願ったお姉さんの結婚を実現したいというただ一つの願いから生まれた、お姉さんを結婚させるための存在なのです。
他人のために願った結果、自分への見返りどころかさみしい気持ちを手繰り寄せてしまったことから一度後悔しそうになってしまいます。
一度は立ち直った理子を、ドッペルは発動するために結婚の仲介人という役割をなかったことにしようとし、そのたびに胸の中に押し込めた感情を理子に呼び覚まさせます。
まさに呪いから更なる呪いを手繰り寄せる恐ろしいドッペルです。



安名メルのドッペル

安名メル

ドッペル名:ETTEILLA

開示のドッペル その姿は、ト者

説明
この感情の主は依頼者であり請負人。明確に運命を示すドッペルのことを自身の内なる真の力だと思い、示された運命を否定しない。
手首と背につながるこのドッペルは、常に主の鼓動を感じながら脈を測って同調し、互いの行動や感覚を一致させることで、決して揺れることがない運命を示す。その結果は開かれた目に描かれており、瞳の中心に映ったタロットカードの種類と向いている方向によって決まる。
主とドッペルが示された運命から逃れるのは並大抵の努力では不可能。

ドッペルに変化する部分
背中、右腕

ドッペル発動時のセリフ
「ぼくの中から漆黒が」

開示とは明らかに示すこと、教えを説き示すことを意味し、運命を明確に示してしまうというメルの固有能力が反映されています。
卜者(ぼくしゃ)とは占い師を指す言葉であり、メルの様そのままが反映されています。まさにメルをそのまま映し出したかのような存在だとわかります。

ETTEILLAはタロット占いを多くの人に広めたフランスのオカルト主義者です。
タロット、占星術、四体液説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四種)、四元素を織り交ぜた彼独特の考えで行われた占いがタロット占いです。
そして彼は占いによって生計を立てるプロのタロット占い師となったのです。
おそらく占い師として生きていきたい、オリジナルのメソッドで占いをしたいというメルの願いがドッペルへ色濃く反映された結果です。そんな様がETTEILLAと重なるため、この名が与えられたのでしょう。



雪野かなえのドッペル

雪野かなえ

ドッペル名:GIBDAUGHTER

共鳴りのドッペル その姿は、ハチドリ

説明
この感情の主は、よく響く体をもったこのドッペルを悪くないと思っている。
このドッペルは如何なる物質であろうとも固形物であれば自身の歌声で共振させ、破壊してしまう。また生物に対しても歌声で脳を揺らし超音波で振動させたクチバシと精密動作で心臓を一突きとしてしまえるだろう。

ドッペルに変化する部分
親指

ドッペル発動時のセリフ
「私が乱してしまった」

共鳴りは振動体などに外部から振動を加えると連動して振動する現象のことであり、電気振動の場合は共振とも呼ばれます。また、他人の行動や思考に同感することも意味します。
願いとの関連性としては、願いの対象とする男のグループを起点として共鳴するように関係グループが根こそぎ潰れたという結果があります。また、かなえ本人に対してはやちよのおばあちゃんに触発され、どんどん性格が柔らかくなっていったのも共鳴が影響していると考えられます。
ハチドリは、ハチドリの種類の中に超音波を発するものがいることから採用されたと考えられます。

GIBDAUGHTERは造語です。それもそのはずであり、ギター関係でgibsonという会社があり、son(息子)からdaughter(娘)へと置き換えたものとなっています。
直訳だけでは導き出せない由来です。



牧野郁美のドッペル

牧野郁美

ドッペル名:SYLVIE

衆目集めのドッペル その姿は、ゼンマイ人形

説明
この感情の主は、他者の笑顔を求めることと、自身が求められることを僅かでも同一視してしまった。
シンバルをめちゃくちゃに打ち鳴らし、その音に気を取られた者達の目玉へアンカーが撃ち出される。音によって呪いをかけられた者をアンカーは何処までも追ってゆき、必ずその眼球を奪うだろう。
このドッペルを使用し続ければ、常に誰かに見られていないと不安を感じるようになってしまう。

ドッペルに変化する部分
目、足

ドッペル発動時のセリフ
「わたしたちの夢なのに」

衆目集めは多くの人に目を向けられること、大勢から注目されることを意味します。多くの人に求められたいという思いが反映されたドッペルなのですが、注目を集めようと郁美は奮闘するにもかかわらず、注目してくれた人の目をドッペルは潰してしまっています。これによって郁美はもっと注目を浴びないといけないと思い込み、どんどん誰かに注目され続けないと落ち着かなくなるというドッペルの思惑にはまる仕組みとなっています。
ゼンマイ人形は螺旋状の素材が元に戻ろうとする力を利用したゼンマイの機構が使用された人形のことです。これは、注目を集めたいという行為を続けられるようにするドッペルの在り方が反映されています。注目を浴びていると実感する程ゼンマイは回されていき、回された分だけ、ドッペルは人の目を潰し続けるのです。

SYLVIEは主にフランス語圏で使用される女性名であり、ラテン語の「森から」という言葉が語源とされています。



南津涼子のドッペル

南津涼子

ドッペル名:GOSIRSA

愚直のドッペル その姿は、牛車

説明
この感情の主は自身の真っ直ぐさを信じながらも、融通の利かない自分の性格が災いして八方塞がりになってしまう未来に気付いている。
ひたすら前を向いて直進するこのドッペルは、体より気持ちの方が急いでしまって、いつも前のめりに倒れそうになっている。しかし、倒れないように車輪付きのアームで支えているので、物理的に止めるまでは決して止まることがなく、障害物があったとしても、ノコギリ型のアームで破壊していってしまうらしい。
そんなひたむきなドッペルは、主にとって自己を肯定する役割を果たしている。

ドッペルに変化する部分
影(ドッペルに掴まっている)

ドッペル発動時のセリフ
「世界の平和が私の幸せだ」

愚直は正直すぎて気が利かない、馬鹿正直という物事に真っ直ぐすぎて融通が利かないという悪い意味で使用される言葉です。涼子の愚直な様子はさくやが敵でありながらひたすら助けようとした時に出ていて、そんな涼子の在り方がドッペルに反映されています。
牛車は牛に牽引させる車のことであり、乗る人物の身分によって乗り心地や装飾が違います。残念ながらこのドッペルの牛車は闘牛が目標に向かってひたすら疾走するような振る舞いをします。

GOSIRSAは牛頭をサンスクリット語にした時の読み方です。
牛頭は仏教思想の地獄に登場し、地獄で囚人を責めいじる鬼「獄卒」という役割を持っています。獄卒は罪を償わせる、囚人の苦しむ姿を楽しむという欲が絡む意思のもとで動いているのではなく、ただだた責めいじります。
自己肯定のために存在するこのドッペル自身は無情な存在かもしれませんが、それは主である涼子さえも無情に導く地獄送りな牛車であることも意味します。
愚直な涼子は、ドッペルを、自己を否定しない限り地獄行きの未来から逃れられないのです。



美国織莉子のドッペル

美国織莉子

ドッペル名:SOTRIA

煩悶のドッペル その姿は、舞踏会

説明
この感情の主は、予知した未来を変える事を使命としている。
風が吹き、花が散り、花びらは異界へと迷い入る。やがて立ち込めてくる霧があたりを包み込むと、その時は訪れる。
霧はたゆたう花びらと混ざり合い、宴の幕は開く。そしてこのドッペルはステップを刻み始める。そのステップが最高潮に達した時、まるで花に嵐の例えのように敵影は姿を消し、舞踏会には贄が供されることとなる。

ドッペルに変化する部分

ドッペル発動時のセリフ
「これが私の生きる意味」

煩悶にはいろいろなことに悩み、苦しむことという意味があります。織莉子が魔法少女になった理由は、父親の失墜と同時に周りからの自分の評価も変わってしまったことが原因でした。自分の生きる意味に悩み、苦しんだ結果、キュゥべえに生きる意味を知りたいと願いました。しかし、未来が見えてしまったことで新たに悩み苦しむこととなったのです。このドッペルには、願う前も、後も悩み苦しむ織莉子の心が移されています。
舞踏会は西洋の正式なダンスパーティーのことで舞踏会の英語「ball」はラテン語の「踊る」という語から来ています。この舞踏会では男女がペアとなって踊るということもあり、お見合いも兼ねていたとされています。
しかし、このドッペルのいう舞踏会は良いことへ邪魔をしてしまう月に叢雲、花に風のような扱いになっているようです。まるで彼女の踊りが誰かの邪魔をすると言っているかのようです。

SOTRIAはイタリア語で歴史、物語を意味するstoriaから来ていると考えられます。織莉子は願いによってその世界の歴史を未来視し、物語を変化させるに至りました。 SOTRIAには織莉子の歴史を変えるという使命が込められているのです。



呉キリカのドッペル

呉キリカ

ドッペル名:LATRIA

篭絡のドッペル その姿は、針

説明
この感情の主は、自信を救ってくれた恩人に対し、絶対な忠誠を誓っている。
ドッペルが穿つ針が貫くのは、何も対峙する敵に限ったことではない。
主の運命すらも貫き、縫い付けてしまう。
それはまさに、全てを捧げ、命すらも委ねている恩人への忠誠心の表れであり、他者に依存することでしか己を保つことができない危うさを象徴している。
針に鋭さが宿れば宿るほど縫い目は増え、容易に離れることはできない。
しかし、それはまさに主の願望を表すに他ならない。

ドッペルに変化する部分
心臓

ドッペル発動時のセリフ
「生まれ変わった気分だよ」

篭絡とは、うまくまるめこみ、自分の思うとおりに操ることという意味があります。これはキリカが篭絡するのではなく、篭絡される側です。もちろん篭絡しているのは織莉子であり、キリカ自信はそうであっても織莉子の役に立てればよいと考えています。
例えドッペルを出すことで副作用を受けようと、織莉子の願いであれば喜んでドッペルを出すでしょう。ドッペルもまたそんなキリカの姿勢に答えるのでしょう。彼女の写しなのですから。

針といってもこれはキリカを縫い合わせるための針であり、その針で縫い合わされる糸は織莉子がキリカを動かすための糸となります。

LATRIAはラテン語でラトレイアを意味し、神にのみ捧げられる礼拝を表しています。これはキリカが織莉子のことを人としては決して見ておらず、神として崇めていることを意味します。
ドッペルでさえも、織莉子のことを神格化させるほど織莉子はキリカにとって大事な存在なのです。



タルトのドッペル

タルト

ドッペル名:LA PUCELLE DO BLANCHEUR

浄火のドッペル その姿は、救国

説明
この感情の主は、不道徳とは無縁の純白で善良な心をもつ。
ドッペルの導きによって舞い降りる無数の十字架は、ただの十字架ではない。
それは神性の否定を象徴する逆さ十字であり、その存在を感じた者はすべて己の中にある罪が無限に吹き出し、みるみる内に浄化の炎に包まれて、やがて焼き尽くしてしまう。
ドッペルはいかなる存在であろうとも罪を見つけ出し、白日の下に晒す。
つまりは、この理不尽なる清浄を受け入れるしか選択肢はないのだ。

ドッペルに変化する部分
背中

ドッペル発動時のセリフ
「光をもたらすために」

 

浄火は神聖な穢れのない炎のことを意味します。タルトを包んだ炎は、果たして神聖な炎だったのか。
そしてドッペルが正者にもたらすのは、罪を焼き尽くす神聖な炎。もちろん罪があればタルト自身も標的になりかねないですが、燃やされないということは元々罪がないのか、それともすでに浄火を浴びた後だからなのか。
救国は国を救うという意味であり、タルトが願った「フランスに光をもたらす」ということが「フランスという国を救う」という意味と同義であるため願いがそのまま反映されたといえます。
フランスを救うことは為し得ましたがその行く末を見守ることは叶いませんでした。

LA PUCELLE DO BLANCHEURはフランス語であり、日本語では「純白の乙女」を意味します。
史実のジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」と呼ばれていたためドッペル名は直接的にジャンヌ・ダルクを意味してはいません。
タルトという存在にとってのドッペルであり、純白で善良な心をもつラ・ピュセルとしてこの名が与えられたのでしょう。その心は、あらゆる原罪という黒き存在すら白く照らしてしまうほどの光を備えているのでしょう。



リズのドッペル

リズ・ホークウッド

ドッペル名:OBSCURITE

忘執のドッペル その姿は、黒影

説明
この感情の主は、苦境に立たされても、他人を思う情の深さを持っている。
光あるところに影があるのは、まさしく摂理といえるが、影に置かれた立場としては、決して光をその身に受けることができないのもまた摂理。
このドッペルは、眩いばかりの光に浴する英雄の傍らにあって、常に寄り添う影であり、本質を決してつかませない闇そのものといえる。
しかし、だからこそ光の存在は、より一層際立っている。
両者は、摂理が結びついた切っても切れない関係にある。

ドッペルに変化する部分

ドッペル発動時のセリフ
「たとえ影が滅びようとも」

 

忘執とは、ある特定の考えに囚われていることを意味します。リズの場合は、「私はタルトの影として存在しないといけない」という考えに囚われています。
ドッペルの姿は黒い影であり、どれほどリズが影にこだわっていたかがこのドッペルには現れています。
また、本来は神浜市ではないにもかかわらずドッペルが誕生しています。夢のイタリアが若干神浜の法則を孕んだ世界だと考えればあり得る話ではありますが、本来リズはドッペルの誕生を目にすることができません。

OBSCURITEはフランス語であり、日本語ではを意味します。ドッペルの名前、姿、性質何から何まで闇や影にこだわったものとなっているのがわかります。



メリッサのドッペル

メリッサ・ド・ヴィニョル

ドッペル名:LA HIRE  LA HIRE

消滅のドッペル その姿は、震怒

説明
この感情の主は、誰からも好印象を抱かれる温和な性格をもつ。
他人に力や作用が及んだ時に、反作用で押し返されることを「反動」というが、このドッペルは、まさに主の性格の反動から生まれたものであり、その姿の本質は震怒を象徴している。
相対する者を消滅せしめるまで打倒するその力は、平安を求める心を苛めば苛むほど激しく湧き出る。
一方的に打たれ続けているからといって、侮ってはいけない。

ドッペルに変化する部分
両手

ドッペル発動時のセリフ
「後悔はしていません」

消滅は消えて跡形もなくなることを意味します。このドッペルの主を怒らせる存在を消滅させるという性質から来ています。
震怒は激しく起こることを意味し、ドッペルを出した際の主の感情が反映されています。

LA HIREは古いフランス語で憤怒を意味するメリッサの父 エティエンヌ・ド・ヴィニョルのことであり、ドッペル名では憤怒が二度繰り返されています。
おそらくは憤怒よりも激しい怒りを表しているのでしょう。
ちなみに現代のフランス語で憤怒はRAGEと表現されます。



エリザのドッペル

エリザ・ツェリスカ

ドッペル名:EIN ROTER DRACHE

誇負のドッペル その姿は、暴竜

説明
この感情の主は、所属するドラゴン騎士団に対して、強い誇りをもっている。
そして、このドッペルは、その強い誇りによって具現化されたものであり、炎の如く激しい彼女の根本的な性質を表した存在でもある。
加えて、騎士団としての使命を全うせんとする彼女の責任感と、それに伴う重圧感をも内包している。
この竜が姿を現す時、戦場を蹂躙し、食らいつくし、その暴威をもって比類なき力を示すことになるだろう。

ドッペルに変化する部分
両足

ドッペル発動時のセリフ
「わたくしの、誇りにかけて!」

誇負は自分のことを誇り、自慢するという意味があります。隙があれば自身の誇りを自慢してくるエリザの思考がドッペルに反映されています。
暴竜は文字にした通り暴れる竜のことですが、エリザにとって暴れるのは強い力を示すためではなく、自身の誇りを貫き通すため。とはいえ心を許す存在には口よりも手が出やすいという一面もあるためそんなエリザの裏の顔も反映されているのかもしれません。

EIN ROTER DRACHEはドイツ語で「赤いドラゴン」という意味です。
史実のドラゴン騎士団が結成された神聖ローマ帝国は時代が進むごとにドイツの主張が強くなっていた背景が反映され、ドイツ語が使用されているのでしょう。
赤いドラゴンはドラゴン騎士団の紋章として使用されていて、ドラゴン騎士団の象徴であるといえます。
そんなドラゴン騎士団に対して強い誇りをもっているためか、ドッペルは赤いドラゴンの姿として具現化したのです。まさに自身が、ドラゴン騎士団の象徴であると誇負するように。



天乃鈴音のドッペル

天乃鈴音

ドッペル名:CLOTHETTE

約束のドッペル その姿は、カゲロウ

説明
この感情の主は、炎を内に宿している。
それは復讐心によって燃え上がる炎でもあり、恩人とつないだ絆を示す炎でもある。だが、仇敵である魔女を滅ぼさんとするその火勢は、同時に苛烈なる運命を背負っている宿主をも焦がしている。形作られたカゲロウの姿は、まさにその命脈を表しているのだろうか。それ故か、連なる鈴から響き渡る音は、それを聞く者の魂にまで届く。
炎の先に揺らめく景色の中に何を見ているのかは、操る彼女にしかわからない。

ドッペルに変化する部分
左目

ドッペル発動時のセリフ
「取り返しのつかないことを」

約束という言葉は相手と取り決めを行うことであり、この言葉は鈴音と恩人である存在をつなぐ単語となっています。果たしてその約束とは嘘か真か。
この約束の真実は別種のレコードに刻まれています。

カゲロウは密度の異なる大気が混ざり合うことで光が屈折する現象のことです。陽炎が発生した場所はもやがかかったように物体の存在があいまいになってしまいます。この場合、カゲロウが意味するのは燃え続ける炎から発生する現象を指しています。炎から浮かび上がるカゲロウは、鈴音を真実から遮りただひたすら約束のために戦い続けさせます。

CLOTHETTEはフランス語で鈴を意味します。
その鈴の音色が意味するのは死を告げる音色なのか、それとも鈴音の後悔か。



成見亜理紗のドッペル

成見亜里沙

ドッペル名:RENARD

臆病のドッペル その姿は、豪腕

説明
この感情の主は、孤独になることを恐れている。
周囲から一方的に打ちのめされた先に待っているのは、孤独無援の世界。ただ鬱屈した感情を抱いて、その場に座り続けるしかない。そこから脱するためには、逆の立場に立つしかない。つまりは、何事も跳ね返すだけの力を手に入れること。その力をまさしく顕在化させたのがこのドッペルではあるが、手中には、孤独へ立ち戻ることに恐怖する本心が据えられている。

ドッペルに変化する部分
左手

ドッペル発動時のセリフ
「私はいつも独りぼっち」

臆病はちょっとしたことにも恐れてしまうことを意味し、孤独感を感じることが嫌いな亜里沙の本心が反映されています。
豪腕は腕っぷしの強いことを意味し、亜理紗が自分の置かれていた立場を逆転させるために願った内容が反映されています。
どちらも亜理紗の感情、願いが反映された結果ではありますが孤独感から来る臆病な本心は願いから生まれた副産物でもあります。

RENARDはラテン語の「子ぎつね」から由来されるフランス語圏で姓として使用されている単語です。
ルナールが狐を表すようになったのは狐物語が広まったことが原因だとされています。狐物語は食物連鎖上、立場が上のはずのオオカミを狐が徹底的に打ちのめすというのが大まかな内容となっています。
今まで狐の立場にいた亜理紗は力を手に入れることで逆の立場となって打ちのめす側になるというまさに狐物語のような内容がドッペルに反映されていることをこのドッペルの名前は表しています。





ドッペルについての考察はこちらのページで行っています。

ドッペルの真実