【マギアレコード】第二部は結局何を描きたかったのか この結末はほんとうのさいわい?

 

ついに結末を迎えたマギアレコード第二部 集結の百禍篇はとりあえず結末を迎えられたことに対して安堵するプレイヤーが多かったことでしょう。

その内容を振り返ると魔法少女まどか☆マギカの内容、登場人物たちからはほとんどかけ離れた独自の外伝としての物語展開で進行していきました。

そんな第二部の内容を見て、この物語はどのように評価できるものなのかを分析、考察していこうと思います。

 

・1. 第二部で描きたかった物語とは

第二部で描きたかった物語が何かを考えると、結論から言うと

「いろはにとってのさいわいが叶うまでの物語」

だったと言えるでしょう。
ではその結論に至るまでの流れを分析していきます。

第一部時点では魔法少女まどか☆マギカの永遠の課題となっていた暁美ほむらが時間をやり直さなくていいという結論に至れることが最終的な目標となっていました。
見事にそれは成功して外伝であるマギアレコードの世界は、円環の理に導かれることがない魔法少女まどか☆マギカの世界から離れた別の存在するかもしれない世界になる権利を手に入れました。

その後は自動浄化システムという魔女化しない法則が存在する結界が明らかとなり、第二部は大まかにそれを広げることが主人公であるいろはの目的となりました。
それとともにキュウべえとの共存も目的にしていたようですが、これは自動浄化システムに対して行われた仕打ちを目の前にすると諦めてしまうのもわかります。

この考えはメインストーリーでほとんど強調されることなく、最後まで果たされずに終わりました。

様々な事情を抱えたグループが登場するという物語の構成は、いろはに神浜の外にいる魔法少女が抱える事情を知る機会を与えたと言っていいでしょう。
これによって第二部の物語はより多くの魔法少女が神浜内外で暴れることとなり、人間に認知されないのはおかしくないかという疑念を膨らませることになります。

そんな、多くの魔法少女が行動しても人間に中々認知されないという仕組みは「宇宙の意思」で解決されました。

宇宙の意思は魔法少女が現状を変えようと抗えば抗うほど悪い現象を発生させる謎の力です。

この力の存在は第二部の後半で存在が語られはじめたもので、第一部が終わるまでは存在すら語られなかったものです。
第一部時点で凶暴化した魔法少女が街中を暴れまわる、エンブリオ・イヴ、ワルプルギスの夜によって神浜の中央地区が壊滅的な打撃を受けるといった魔法少女の存在が認知されてもいいだろうという現象が起きつつもなぜか魔法少女の存在は世間に知られないままとなっていました。

この原理は魔法少女まどか☆マギカの時からあった魔女と接触した人間はその時の記憶が夢であるか、またはなかったことになってしまう、自然現象という理解に収まってしまうという考えを踏襲したものと言えます。

しかしその考えはあくまで魔女と接触したことに対してであり、魔法少女と接触したときに起こるものという説明はなかったはずです。
ましてや魔法少女達が世間に自分たちの存在を広めようとしたときに、それを防ぐかのような力が働くという原理はもはや何者かが願いでそうなる宇宙の原理にしたという下積みが存在しなければ説明がつかない力です。
キュウべぇがそうなるような仕組みを宇宙へ施したという説明もないので、宇宙の意思という設定は、第二部の物語を盛り上げるために生まれたぱっと出の後付け設定としか考えられません。

第二部の第10章ではネオマギウスによって魔法少女の存在を世間へ知らしめるという機会が訪れます。
宇宙の意思が確かに存在するならば、これが実現しようとしたときに何らかの不幸が訪れて結局は魔法少女の存在が世間に知れ渡ることはなくなるはずです。
結局はいろは達によってそんな騒動もなかったことにされましたが、宇宙の意思はしっかり働く予定だったのでしょうか。

さらに言うと、湯国市では魔法少女の存在が認識されつつ、悪者として扱われていました。
この結果になったことについては宇宙の意思が働いていながらも魔法少女は悪い存在という記録だけが残ってしまいました。
この結果を見ると、宇宙の意思は魔法少女が抗おうとするほどその力が働き、魔法少女が不幸になることについては魔法少女の存在が知れ渡っても黙認するという性質があることになります。

そんな性質があるとすれば、宇宙の意思は

「魔法少女が不幸になって絶望し、魔女化するために働く宇宙の力」

だともいえます。

なんて畜生な力なのでしょうか。

今後そうなるように仕向けた魔法少女の存在でも示唆されて、世界観的にも納得のいく説明がされればいいのですが。

さて、そんな物語の構成が少し怪しく見えてきた集結の百禍篇はどういう結末にしようかは最初から考えられていたようです。

第二部OPのこの場面ですが、第12章の鏡を通して生きていた時のうい達を連れてくるために急いでいる場面に見えないでしょうか。

そしてその次の魔法少女のマークや色が消えたソウルジェムが映し出される場面ですが、これは魔法少女達が魔法少女ではない存在、ウワサ化するということを示唆しているのではないでしょうか。

このOPの構成を見るだけで、宇宙の意思という存在を設定し、その考えから回避するために魔法少女を魔法少女ではない存在にして活動させるという大まかなプロットはあったのではないかと伺えます。

もしそうだとするならば、もう少し宇宙の意思が何故あるのかといったところから丁寧な掘り下げがあった方がよかったとは思います。
説明がないぱっと出の設定は、ご都合主義で解釈されてしまいますから。

 

様々な地域に住む魔法少女と接触する機会を得たことで、いろはは神浜内では感じられなかった魔法少女の在り方、考え方、立場を知ることになります。

そんな魔法少女達と接触する機会を得るために用意されたのが、自動浄化システムの存在の周知、キモチという存在です。

自動浄化システムの存在の周知についてはキュウべぇが自動浄化システムは存在していて良いものなのか、悪いものなのかを判断するために行ったことです。
しかしその周知が部分的なものであったこと、なぜ日本の一部の魔法少女しか訪れなかったのか、魔法少女まどか☆マギカに登場したメンバーには協力するよう促さなかったのかなど、参加したグループが部分的になってしまったことに疑問を持ってしまいます。

「描写する魔法少女の数を限定的にしたかった」

という元も子もない理由であれば仕方がないですが、世界観を考えるとよろしくない考え方です。
もう少し周知の方法を具体的にしておけば、少しは神浜へと訪れたグループが限定的であったことの説明もついたと思います。

次にキモチという存在は、この物語の結末へ向かうための最も障害となった存在であり、変に物語が長引く原因を作った要素でした。

「キモチという存在が落とす宝石を集めた者が、自動浄化システムを手に入れられる」

そう言って回ったキュウべぇの思惑は、ドッペルを発動させる機会を増やしてエネルギー回収効率がいいかどうかを判断するためのものでした。
この争いが生まれるための原因はしっかりと設定がされていて問題はないでしょう。

ただし、キモチという存在自体に問題があります。
神浜中を覆っていた被膜が消え、行き場を失ったエネルギーが意志を持つ存在になったのがキモチでした。
この存在は明らかにキュウべぇの思惑といろはが色んな魔法少女と接触する機会を用意するために作られた存在だとわかってしまいます。

第一部時点から自動浄化システムを維持する存在として、エンブリオ・イヴが身につけている8つの宝石が埋められたネックレスにも秘密があるといった設定を用意しておけば、第二部でいきなり現れたぱっと出の後付け設定と思われることはなかったでしょう。

このキモチという存在が無ければ、もう少し第二部はコンパクトな内容となっていたことでしょう。

ちなみにキモチという存在は、いろはが鏡の魔女という強大な敵に対等に立ち向かうためのエネルギーとして重要な役割を持っていたりします。

そんなラスボス的立ち位置にある鏡の魔女が、ラスボスとして現れる伏線は第二部からいきなり現れたものです。

第一部時点では昔神浜で争いの原因を産んだ存在であり、最深部がどこなのかが分からず討伐が叶わない魔女という謎多き存在にとどまっていました。

その後、第二部で鏡の魔女がラスボスとなるための流れとして、瀬奈みことという鏡の魔女の大元となる魔法少女の詳細な設定が用意され、その魔法少女が他人に意思を移すことができるというとんでもない設定が用意されました。
そんな瀬奈みことという存在は、更紗帆奈が吹っ切れる原因となったことが説明される際に既に存在は示唆されていました。瀬奈みことが実は鏡の魔女なのではないか、と考えられるような設定もされてはいました。

大前提として、魔法少女の能力、固有魔法は叶えた願いが影響します。

瀬奈みことは願いを叶えたことによって他人に移植を行う力を手に入れたとされています。
しかし、瀬奈みことの願いは「父親がここからいなくなってほしい」であり、その願いの中には偽ってきた自分の立場が本物だったらいいのにという思惑がありもしました。
そこからどう考えれば「移植」という力が手に入るのか。
暗示だと言われたころであれば、「他人にこう思われたい」という想いが反映された結果だという説明もできました。
しかし移植が本当の力だと断言されてしまいました。

魔法少女の能力、固有魔法は叶えた願いが影響するという考えは何処に行ってしまったのか。

移植が固有魔法であるという設定が、瀬奈みことという人格が維持されつつラスボスとなるための下積みを用意するための後付け設定ならば、それは世界観の設定が甘いことになり許されざることです。

そして鏡の魔女には鏡を通して別の場所へワープできる、別の時間や並行世界にも移動できるというとんでもない設定まで用意されました。
別の場所へワープするという設定は、結界内で鏡を通して実現されていたことではあるため実行可能であることは理解できます。

しかし別の時間や並行世界にも移動できるというのは魔法少女だったころの「移植」の魔法からも、結界内で起きていた第一部時点でも匂わせる現象がなかったため説明ができないものです。
別の時間に移動できるという設定は「殲滅戦」という鏡の魔女を倒す際に用意されたギミックを試験的に行うために用意されたようなイベントで初めて明らかとなりました。
そのあとにメインストーリーでターミナルと呼ばれる場所が明らかとなり、そこで別の時間にいる魔女が移動してきていたことも明らかとなりました。

第二部に入ってから、別の時間に移動できる能力もあるという説明自体は丁寧な段取りで進められてきました。

とはいえ、鏡だけで時間移動や並行世界の移動までできてしまうのはどうでしょう。
あまりにも元の能力とのつながりが考えられず、やけくそな何でもありな状態になっていないでしょうか。
もう少し能力と関連付けて設定は考えてもらいたいものです。

 

ここまでのなかなか無茶のある段取りが行われた上で、いろははラスボスとの対話も試みて別世界のまどかとは違った方法で過去やあったかもしれない世界の魔法少女も幸せにしようと試みる結末に至ります。

第二部全体の流れは

「いろはが鏡の魔女と対話して魔法少女皆が幸せになる世界を体現する」

ということを実現させるために用意されたものに過ぎません。
第二部の結末によって皆が幸せになったか、救われたかは別となっており、あくまでいろはが幸せだと思う世界にしたという結果だけが残りました。

第二部でなにを描きたかったのかを分析しようとしても、特に何かを訴えたいメッセージ性は特になく、あるとすれば

「奇跡を信じ続けて立ち止まることが無ければ、救われる」

でしょうか。
しかしあまりにもごり押しでご都合主義な設定や展開が目立つため、そんなメッセージがこもった物語であっても「でも現実はそんなわけないだろ」と一蹴される内容だと思いました。
よく練られた物語といえば、そうでもないと言えてしまいます。

なので、第二部で描きたかった物語が何かを考えると、

「いろはにとってのさいわいが叶うまでの物語」

というしかないでしょう。

それ以上のものはありません。それだけです。

 

2. 巻戻しの魔法は最初からある設定か、それとも後付けか

瀬奈みことの固有魔法でも触れましたが、大前提として、魔法少女の能力、固有魔法は叶えた願いが影響します。

この大前提がある中で、瀬奈みこと以外に第二部で固有魔法が後付けされたのではないかという人物がもう一人います。

それは、メインストーリーの主人公である環いろはです。

環いろはの能力が治療であることは公式から出されている『MAGIA|ARCHIVE vol.1』でも明らかとなっています。

この目録でも長い間、魔法少女の願いとその結果やえられた能力との関連性を調査してきました。

【マギアレコード】魔法少女の願いと結果、能力まとめ

一部設定に怪しい魔法少女はいるものの、ほとんどの魔法少女は願った内容とその境遇が反映された能力を得ていました。
なのでマギアレコードとしても、魔法少女の能力、固有魔法は叶えた願いが影響するという前提は守っていたことが分かります。

しかしそんな中明かされた、環いろはの固有魔法は、実は巻戻しだったという事実です。

物語中では、いろはが行っていた治療だと思われていた行為は

・治療の行為は、けがを負う前の状態に戻しているだけ

・ソウルジェムにひびが入る前の状態に戻した。その時に魔力の衰え自体も戻った

という現象は全て巻戻しの能力によるものだったという説明自体はありました。

また、バトル中に蘇生させる能力が発動したら、なぜかMPの量が倒れる前のままなのは倒れる前の状況に戻しただけだからと言われれば説明が付きます。

 

しかし、それはしっかりと願った内容とその結果に起因しているでしょうか。

いろはの願いは「ういの病気を治してほしい」であり、その結果ういの病気は治りました。
でもこの結果によって得た能力が巻戻しであるならば、ういは病気になる「前」に戻っただけであって将来は病気になる未来が待っているだけだったという残酷な結果となります。
ういも魔法少女になったのでその未来はありませんでしたが、果たしてういは病気になる「前」に戻っただけだったのか。それを確認する術はありません。

蘇生させるほどの治癒能力で、なんで梓みふゆのソウルジェムが元通りになるんだという疑いは当時からありましたが、この本当の能力は巻戻しだという結論は、その第一部からの疑問に答えを出せたのかもしれません。

いろはの固有魔法は巻戻しだったという事実は、

ソウルジェムを元通りにしてしまったという事実に辻褄を合わせるための後付け設定だ

と言えなくもありません。

もう少し小出しに時間を撒き戻すような描写があれば、最初からある設定だったのかと気持ちよく納得できたのかもしれません。

 

3. 考慮されていない世界中の事情

さて、第二部の結末は皆が幸せになったか、救われたかは別となっており、あくまでいろはが幸せだと思う世界にしたという結果だけが残りました。

自動浄化システムが世界中に広がったため、世界規模で展開された物語と錯覚してしまいますが、この物語の規模は「神浜市周辺」だけです。

宝塚市、二木市、霧峰村、湯国市が、第二部で神浜市以外によく出るようになった地名です。
この程度の範囲、電車で日帰りできる距離であるためあまり広くはないです。
なので日本中を巻き込む出来事でもなく、世界中を巻き込む出来事でもないです。

ですがこの物語で考慮されていたのは神浜市周辺の出来事だけであり、EDで描かれた魔法少女達のその後も神浜市周辺に留まるような内容でした。

魔女化しなくなったという現象が世界中へと広がったのであれば少なからずその原因に興味を持つ存在が現れるはずです。
世界中にいる魔法少女が、自分のことで精いっぱいで「魔女化しなくなったの?!やったね!」という感想しかいだかなかったというのであれば、何も言うことはないです。

とはいえ、魔女化しなくなった魔法少女達ですが彼女達は依然として人とは違う存在であることは確かです。普通であれば致命傷となるようなけがを負っても、ソウルジェムが無事であれば生きているという事態は長い間魔法少女が生き続ければいずれ明らかとなることです。
心臓が潰れても、首が切り裂かれても生きているという事態が発生すればきっと世間も話題にせざるを得ないでしょう。その探求の先で、魔法少女は普通の人間に紛れて生活を続けることができるでしょうか。

次に、ソウルジェムが砕かれない限り死なない魔法少女達にとって老衰は存在するのか。
魔力が衰えるという現象はあるようですが、ソウルジェムが無事であればいつまでも生き続けられてしまうのではないでしょうか。
肉体が年をとっても魔力でいくらでも動かせるので寝たきりになるといったこともほとんどないでしょう。そんな異常な寿命を目の当たりにした時、魔法少女自身やその知人、家族は正気でいられるでしょうか。
自分の周りの人間が次々と年を取って死んでいく中自分だけは元気という事実、普通の生活を送りたいと思っていた魔法少女達は正気を保てないと思います。

そんな、将来の事情がこの物語の結末には考慮が足りていません。

あとは結局、魔法少女の存在が世界に知れ渡ったらどうなるのかも結局は描かれずに終わっています。

果たして人は魔法少女の存在を知ったら皆が皆、人間と同じ対応をしてくれるでしょうか。

そんな疑念が解決できない物語の内容でした。

 

 

4. これはほんとうのさいわいか

では最後に、この物語は本当にハッピーエンドで終われたかを見ていきます。

結論から言うと

「いろはにとっては幸せな結末」

であったと言えます。

まずはこの「いろはにとってのさいわいが叶うまでの物語」では、魔女にならない世界を実現できて、いろはは大変満足しています。そのうえ、そのあとに楽しそうに過ごす神浜の魔法少女達を見てうれしそうにしています。
この結果だけ見ればハッピーエンドでしょう。

しかし、ネオマギウスにとっては魔法少女を世間に知らしめるという活動は達成できず、みかづき荘のメンバーについてはいろはと共に過ごすことが叶わなくなっています。
このことから、物語に登場した全員が幸せになれたというわけではないことが分かります。

そして考慮されていない世界中の事情のこともあり、将来もずっと魔法少女が幸せな世界になったのかというとそうではないという結果になります。
将来待っているであろう「人間としての結末」を迎えられない魔法少女達は幸せになれるのかというと、難しいでしょう。

なのでこの結末は「いろはにとってのさいわい」でしかなく、万人が納得するほんとうのさいわいであるかといわれるとそうではありません。

 

まとめ

この物語は「いろはにとってのさいわいが叶うまでの物語」であり、その結果はいろはにとってのさいわいであるだけ

 

あなたはこの物語の結末、どう受け止めましたか?